Lake side 2011

涼しさを求めて、湖巡りの旅をしてきました!

今年の夏は昨年のような猛暑日ばかりではなかったけれど、暑い日が続きましたね。皆さんはどのような夏を過ごされましたか?

 

先月は渓谷を訪れて、ひとときの清涼を味わってきましたが、今度は湖をまとめて3カ所も訪れました。自宅を出てから帰宅するまでの日帰りコースだったのですが、車を運転すること450kmにもおよぶ大旅行でした。

 

元はといえば前回渓谷で涼しく気持ちのよい経験をしたのですが、クルマが思いもかけず不調になり途中で撮影を切り上げたので、今回はもう一度撮影をし直そうかと思ったのがその始まりでした。

 

というわけで、最初は再び名栗川渓谷へ向かったのですが、前回立ち寄った場所がことごとくクルマを停められず断念。そこでまずは上流にある名栗湖(有間ダム)から始まったのです。暑くて湿度が高いためであるのか山々は霞に包みこまれていましたが、折り重なるような山並みは奥深さを感じさせてくれました。

 

次に向かったのは秩父です。秩父は埼玉県の西部にある大きな盆地です。山に囲まれた市内は典型的な盆地気候で、昔から夏は暑く冬は寒いのです。その日もやはり気温はぐんぐん上がってすっかり猛暑です。クルマの具合が少し心配でしたが、今回は調子よく山道を登っていきます。僕たちは埼玉を超えて山梨県へと向かう道を進んでいました。

 

秩父には荒川の上流が流れています。そこにはいくつかのダムと湖があるのですが、旅を急ぐ僕たちは山梨県へと向かう国道140号線の脇にある滝沢ダム(奥秩父もみじ湖)に立ち寄りました。まもなくトンネルを抜けて山梨県という、もっとも山の奥にあるといってもいいほどの湖は、山梨県との間を往来する限られたクルマだけが立ち寄るだけなので、湖面はひっそりと静まりかえっていました。

 

トンネルを抜けて山梨県に入った僕たちは、小海線沿いまで出てから軽井沢経由で帰ろうかとも思いましたが、かなりの距離が想定されたので断念、逆に再び峠越えをして奥多摩側へ抜けることを考えました。そして3番目に訪れることになったのが奥多摩湖と小河内ダムでした。

 

小河内ダムは建設も古くまた3つの湖のうちもっとも大きい規模を誇ります。小説家の故石川達三氏といえば第一回芥川賞の受賞者として有名ですが、この石川達三氏が1937年(昭和12年)9月に『新潮』で発表した「日陰の村」という小説はまさにこの小河内ダムの工事と、湖底へ沈む村の話を書いています。小説の発表からすでに70数年あまりも経過しているこの奥多摩湖は、はるか昔の村人たちの葛藤などまるでなかったかのように、すっかり観光地化していました。

 

戦争前のことです。戦争前といえば日本はまだまだ近代化の途上にあって今の世の人々が教授している多くの技術やサービスなど夢にすら思えなかった時代だったのです。そんなときに将来都心の人口増加を見通して貴重な水資源の確保や電力の確保を目的とした先人たちの先見の明には深く感動します。このダムは数十年もかかってやっと1957年(昭和32年)に完成してからすでに五十余年も経つわけですが、いまだに満面の水を湛え水道や電力を供給し続けています。もちろんこのダムにより下流地域への治水もしっかりと受け持ってくれています。こうした先人たちの努力と知恵に感謝しつつ、今も変わらない奥多摩の山々をしっかりと画像に焼き付けてきました。

 

450kmという走行距離は久しぶりに長かったですが、とても印象に残る撮影旅行となりました。同乗者の恵美さんはほとんど移動中夢の中だったようですが(笑)、意外にもドライバーとしては私は疲れなかったのが不思議でした。そして我が相棒のBMWは元気いっぱいで前回の不調が嘘のように回復してくれていました。

 

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撮影機材:Canon EOS5D MarkII : EF24-105mm F4L IS USM

※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
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