i8080A   MCS-80 8ビット・マイクロプロセッサ

パソコンの原点の登場

C8080A
C8080A
  • 1974年4月発表
  • クロック周波数:2.0MHz
  • 処理ビット数:8ビット
  • 集積トランジスタ数:6,000個
  • 半導体プロセス:6μm   N-MOS

i8008の機能・性能を大幅に改善した8-ビット・プロセッサ。ただi8008とはシステム・ハードウェア構成や命令セットなどに互換性はありません。インテル社としては初めてスポンサーのない自社単独で開発商品化したマイクロプロセッサであり、インテル社としてこの世界でビジネスを成功させようという意気込みが感じられます。

 

i8080Aは、初めて本格的にマイクロプロセッサの用途として、コンピュータ・システムの小型化を意図したアーキテクチャの開発を目指したところに特徴があります。半導体プロセスも初めてN-MOSタイプを使用することができたので、i8008に比べると桁違いの性能向上を達成できました。

 

i8080A(MCS-80)では、システム周辺素子などの開発も進みました。 システム全体の補完的なチップセット8228、割り込みコントローラ8259、DMAコントローラ8257/37、パラレルI/O8255、シリアルI/O8251、クロックジェネレータ8224、タイマ8253などです。これらの周辺素子の多くは後に16ビットCPUの時代になっても標準チップとして使われました。

 

このMCS-80発表と同時に米国内を中心として小型のコンピュータ作りへの熱気が高まりました。高校生や大学生といった趣味として取り組むマニアも増え、「マイコン・キッズ」と呼ばれていました。さらに一部の人たちは自宅のガレージを製造工場として独自に作ったマイクロコンピュータ・システムを通信販売ルートに乗せて全米に売り始めます。特に世界初のパーソナル・コンピュータとも言える、米MITS社のAltair8800(アルテア)はMCS-80(i8080A)をCPUとしたコンピュータで、米国で一大ブームを巻き起こしました。マイクロソフト社創始者のビル・ゲイツ氏は、ハーバード大学に在学中このAltair-80に出会い、そのハードウェア上で動作するBASICというインタープリタを開発しビジネスとしてもマイクロソフト社を創立したことで知られています。

当時のマイクロプロセッサは、インテル社の8080A以外にモトローラ社の6800という有名な8ビット・プロセッサがありました。さらに6800系の派生としてモステクノロジー社の6502というCPUもあり、これは有名なApple社のApple-IIに採用され注目を集めました。

 

このころ、半導体業界には著作権とか知的財産という考え方はなく、また法整備も全くなされていませんでした。そのためにこのi8080Aを模倣する半導体メーカが多数現れ市場を盛り上げていました。インテル社の許諾を得ないまま堂々とセカンドソースを名乗るのが普通だったのです。有名なメーカーとしてはテキサス・インスツルメンツ(TI)社、AMD社、ナショナル・セミコンダクタ社、ジーメンス社、シグネティックス社などがあります。

 

一方で日本国内の半導体メーカも模倣を始めました。このころは日本国内のコンピュータ業界保護のため、通産省の行政指導で二つの協業グループに分かれていました。富士通・日立グループと日本電気・東芝・三菱グループです。マイクロコンピュータについてもこの流れが当てはまり、前者はモトローラの6800系、後者がインテルの8080A互換チップの開発・販売を始めました。

 

マイクロプロセッサの評価・開発キットという存在は、組み込み型向けのプロセッサ用として今も続いていますが、当時日本の国内で大きくブレークしたのが日本電気のTK-80だと思います。当時のキットは現代の開発用ボードとは異なり、自分で半田ごてを握り一つ一つ部品をボードに組み上げなければなりませんでした。電気少年達は半田ごての腕に自信はありましたが、スルーホール実装基板への半田ごて技術はあまりなく、半田箇所も多いコンピュータ基板の作業に手こずった人も多かったと思います。日本電気はそんな日本のマイコンキッズ達のために、秋葉原にあるラジオ会館内に「Bit-INN」(ビットイン)というサポートセンターを設け、TK-80ボードの修理やデバイスのハンドブック等の販売などを行いました。ビット・インはマイコン少年達のメッカとなりました。

世界初のパソコン開発者、亡くなる

2010年4月1日、米国の元MITS社で世界で初めてパソコン(マイクロコンピュータシステム)Altair8800を開発したEd Roberts氏が肺炎でこの世を去りました。享年68歳でした。

 

Roberts氏はもともと米空軍の技術者でしたが、空軍除隊後の1969年MITS社を創立(ニューメキシコ州アルバカーキ)し、ホビー向けロケットや電卓のキットなどを開発販売していました。空軍時代のエンジニア経験として考えてみれば、東西冷戦時代のまっただ中でベトナム戦争が米国の敗戦色が濃厚となるなかで、Roberts氏が最新鋭のコンピュータ技術に対する先端に触れる機会も多かったと思います。ですからi8080Aという大きく進化したマイクロプロセッサを見たとき、それをホビーの一分野としてとらえた彼の考えはごく自然の成り行きだったかも知れません。

 

ですから、最初Altair8800を売り始めたとき(1974年末)、これを"Mini Computer"と位置づけていたというのも興味のあるところです。Altair8800は基本的には組み立てキットとして販売され、キット価格がわずか$397、完成品でも$498という安さで爆発的人気を博することになります。これに目を付けたのが、のちにMicrosoft社を創立するPaul AllenとBill Gatesの両氏で、Altair8800向けにBASICインタプリタを開発し、MITS社との契約を結んで販売を始め、それが現在のパソコンのルーツともなりました。ですから極論を言えばAltairがなければMicrosoftもインテルも、そしてパソコン業界もいまの形にはなっていなかったかも知れません。

 

Ed Roberts氏の存在はこの業界にあってあまりよく知られていません。それはAltair8800を発売した後なぜか後継機種への取り組みがなく、後を追いかけて乱立したパソコン達にかき消されてしまったからかもしれません。その後Roberts氏はほどなく自ら創業したMITS社を売却(1977年)し、医学校へと進学し医師への道を歩むというユニークな人生を送ります。医師になったRoberts氏はジョージア州に病院を設立して医業に従事していたそうです。

 

パソコン業界の隠れた功労者として語り継がれていくことでしょう。

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