Railways Memorial

近代化の鉄道遺産、碓氷峠に行ってきた

めがね橋  ~碓氷峠~
めがね橋  ~碓氷峠~

1893年(明治26年)4月1日。それは鉄道の歴史として有名な、国鉄信越本線(当時は官営鉄道中山道線)の群馬県・長野県境にある碓氷峠が開通した日です。後に鉄道唱歌や長野県歌にも歌われるようになったその急勾配は千分の66.7という当時日本一であり、何らかの仕掛けがなければその急勾配を上り下りできるものではありませんでした。そこで導入したのがアブト式という、レール間に第三軌条を設け、それを歯車状にして機関車とかみ合わせることでレールとの空転を防ぐ仕組みでした。

 

 1963年(昭和38年)、技術の発展と新線の開通により歯車によるアブト式鉄道の廃止と専用機関車の配置による粘着運転(通常のレールと車輪による運転)となりました。そして1997年(平成9年)、長野新幹線の開通とともに104年にもわたる碓氷峠との闘いには終止符が打たれ、在来線としての信越本線横川駅から軽井沢駅間の路線は廃止されたのです。ほぼ同じ頃、1993年には上信越自動車道(高速道路)の開通に伴い、国道18号線の碓氷峠も一定の役割を終えて、いまは旧跡観光道路となりました。

 

碓氷峠を撮影の場所にしたいとは思っていましたが、少し遠いのでなかなか実現しませんでした。今回も紅葉の時期と言うことでタイミングはよかったのですが、あいにくの雨天で撮影にはあまり時間をかけることができず、少し苦労をしました。

 

まずは横川駅隣にある碓氷峠鉄道文化むらを訪れました。廃止になる前は運転所であった建物とか機関庫など見て回りました。ただ展示内容が少なく、鉄っちゃんとしては満足感が足りなかったと思います。一方恵美さんにはめずらしかったようで、少し興味深げでした。ここでは本物のEF63機関車の運転体験ができるので、そこまで経験すれば面白いんだろうなと思います。

 

本当の撮影目的は、やっぱり碓氷峠の通称めがね橋と呼ばれる、煉瓦アーチ橋(碓氷第三橋梁)です。100年以上もの間風雪や地震などにも耐え関東と信州を結ぶ大動脈として人々や貨物を支えてきたのです。新幹線や高速道路に役割を譲り、いまは美しくそのたたずまいを見せてくれています。横川駅からこのめがね橋までは旧線路を遊歩道に整備し直して、多くの観光客が訪れるようになりました。

 

紅葉の季節、しっとりと雨が降る中でのめがね橋も静かにたたずんでいました。2000年代の初め頃一度訪れたことがありますが、そのときはうっそうと茂った木々の中に半ば埋もれていためがね橋でした。今回訪れてみると周りの木々はきれいに伐採されて橋脚も露わになっていました。すっかり観光地化してしまったような感じもしましたが、やはり写真に映し出されためがね橋はその100年の歴史を十分に伝えてくれていると思いました。

 

戦争経験だけでなく高度経済成長や急速な技術発展など、様々な変革を目の当たりにしても、日本国内には多くの明治時代の建物や構造物が残されています。そしてその多くはまだ現役で私たちの生活を支えてくれています。御茶ノ水から浜松町あたりにかけてのJR中央線・京浜東北線煉瓦高架線路などはいにしえの関東大震災や太平洋戦争時の空襲などを乗り越え、現在でもバリバリ現役で私達の重要な動脈路線を支えてくれており、また最も親しみやすく典型的なものだと言えます。

 

このめがね橋は確かに今は遺構となってしまいましたが、今でも十分に現役として活躍できると思えるほどでした。昭和30年代に各地で懸架された橋梁が次々と問題を起こしている中で、明治時代の橋梁がびくともしないその技術に頭の下がる思いです。

 

久しぶりに食べた、おぎのやの峠の釜飯。とっても美味しかったです。

 

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撮影機材:Canon EOS 5D Mark II;EF24-105mm F4L IS USM

※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
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