2016年
1月
17日
日
前回のブログでBOSEのヘッドフォンが壊れた(イヤーパッドとヘッドパッドがボロボロになった)と書きましたが、修理というか交換に出してから1週間もたたないうちに送られてきました。両方とも全くの新品でQC15とQC25です。
まずはQC15から。以前も一度同じ理由で交換していただいたことがありますのでお馴染み。
通常の新品商品とは異なる修理交換専用の箱に収
められています。
ちょうど専用ケースの中身だけを取り出して専用箱に納めたような感じになってます。輸送中に痛めることのないようにウレタンパッドの小片で保護されているのも新品であることを語っています。QC15はApple用とそれ以外用では商品が異なりますが、もともとApple用を購入していたので、接続コードもマイク付きのものとマイクなしのケーブル2点が添付されています。取り扱い説明書も新品らしくきちんと同梱されています。
次はQC25です。これはQC2の交換用として提供されたものです。こちらは外箱も含めて全くの新品のようです。ただし裏側にオレンジ色のシールが貼ってあり、保証書は同梱していませんと書いてありました。どうもこれは修理交換品であることを示しているようです。
でも中を明けてみると、QC15とは異なりヘッドフォンケースも入っていて商品と同等でした。説明書など一式が入っているだけでなく、乾電池も含まれていますし、航空機内での使用のためのプラグアダプターもちゃんと同梱されていました。ケーブルは外箱にiPhone用と明記されているためかマイク付きのケーブルしか含まれてはいませんでした。もっともマイク付きだけで十分なのですが。QC25にはホワイトとブラックの2種類に加えて日本向け専用仕様のオールブラックがあるのですが、日本専用の色は選べなかったので、ふつうのブラックをお願いしました。
これは少し驚きです。QC15と25を箱から取り出して、取り敢えずiPhone5Sに差し込んで聴いてみました。すると・・・
QC15・・・これは聴き慣れた音です。エイジングが済んでいな
いので、音は少し硬めですが、音像の定位もよく
しかも音の解像も合格点です。
QC25・・・あれ?こんな程度?QC15に比べるとどこかモワー
として切れ込みが悪く、なんかヴェールを被ったよう
な感じがします。しかも能率が低いというか音圧レ
ベルもずっと低めです。以前聴いたことのあるQC3
よりはずっとマシなんですが、これがみなさん高評
価のQC25の音なの?と疑問符がたくさん付いてし
まいました。
QC25は電池が切れてもNC機能なしのヘッドフォンとして使用できるようにスルー機能(OFF)も設けられています。これも試してみたのですが、音圧レベルとしてはNC機能あり(ON)と同じレベルに合わせてありON/OFF時のノイズもなくよくできてはいるのですが、NC-ONの時よりもさらに解像度が落ちるため、緊急時に使うモードの域を抜け出てはいませんでした。
まだエイジングも済ませていないので今の段階では何とも言えませんが、QC15も25も使い出したばかりでの比較であり、それでもこれほど差が出てしまうのはなぜなのでしょう。まさかとは思いますがQC25では敢えてスルー機能を付けてしまったために、NC用アンプをドライバーに合わせた専用イコライザー型ヘッドフォンアンプとして使用することができず、十分に音を作り込むことができなかったのではないかと危惧します。その点QC15では電源OFFでは思い切ってヘッドフォンの音も出さないようにしたことで、ドライバーの特性に合わせたヘッドフォンアンプをNC機能内部に組み込むことができたのではないかと思います。他のメーカーでもスルー機能付きのNCヘッドフォンはどれもが帯域が狭くダンピングファクタの弱い音しかしなかったのですが、QC25も傾向としては似ているので、ひょっとしたらと思ったわけです。
これからエイジングを試み、また比較をしてみるつもりです。一部のネット記事に寄れば3日間の短期エイジングですら音が変わった(良くなった)との報告もあるのでそれに期待したいですね。しかし、いままでQCシリーズといえば過去新しいモデルが出るたびに確実にその音質も体感上も明確に改善されていたので、その逆になってしまい落胆してしまいました。
ヘッドフォン自体の形状デザインなどは確かに見慣れたQC15よりもQC25の方がしっくりくる感じですが、イヤーカップの大きさに関すれば25の方が少し大きめな気がします。イヤーパッドはどちらも同じ感じで耳の周りにフィットしてくれる感じも変わりません。
ネットではユーザー評価の声をいくつかのサイトで見てみましたが、自分の感覚とは違ってかなりの高評価でした。それとも送っていただいたQC25の個体に何か問題があるのだろうか?ま、取り敢えずQC25にエイジングをかけてみようと思います。
2016年
1月
11日
月
Radio and Audioの項目でもレビューページを設けているのですが、私的にはこのQuiet Comfort15がお気に入りです。
とにかくジャンルを問わず再生音のバランスが良く音像の定位もいいし、音の粒立ち(解像度)も秀でています。特に外出時に使用したとき、環境音を必要以上にカットせず安全第一というのも嬉しいです。それでいて家の中専用のヘッドフォンに比べても決して引けをとりません。新品からすぐ使用しているのでエイジング(馴らし)をしていないので時間はかかりましたが、1年程度使用しているとさらに音質が良くなるのも特筆です。
これはBOSEだけの問題ではなく他社でもよくあることですが、イヤーパッドの人工皮革部分がイマイチの耐久性であることが玉に瑕といったところ。しかもイヤーパッドだけなら自分で交換できますが、頭の部分にあたるヘッドパッドも同じようにボロボロになるのです。こうなってしまうと自分では交換できません。
そこでメーカーさんに修理を依頼しようと電話をかけますが、このヘッドパッドはメーカーさんでも修理ができない構造なんだとか。それでどうなるかというと修理大相当の金額を払って新品交換となります。我が家のQC15は一回有償交換していますので今回で二度目。さらにその前に古いQuiet Comfort2も同様の状態になってしまったので、交換は2台いっぺんにすることになりました。
これがモデルによって交換してもらえるモデルも金額も異なるようです。
QC2は、17,000円強を支払って最新のQC25になります。
QC15は、11,000円強を支払い、新品のQC15になります。
もし修理可能であればもっと低コストでできそうですし、なによりすでにエイジングが済んでいて手放したくないほどいい音を奏でてくれているのに、最初からエイジングをやり直しというのも残念至極ではありますが、全くの新品に戻る(それもリファービッシュ品ではない)ので他の部分に故障が出る可能性も低くなるのでまあ良しとしましょう。なにせ最新のQC25を普通に購入しても安くて36,000円くらいもするのだから、新品のQC25とQC15の二台持ちになるので何だか幸せな気分もします。
QC25はノイズキャンセレーションの性能も上がっているようなので是非使用してみたいです。QC15と聴き比べをするのも楽しみかも知れません。
考えてみれば、AppleのiPhoneやiPad, iPodなども修理すると交換になります(ただこちらはリファービッシュ品)。下手に大規模な修理センターを組織に持ったり修理部品の在庫を抱えるよりこちらの方がコストメリットがあるのでしょう。故障率が低ければ低いほど交換方式のほうがメリットが大きいし、新品交換と言われたらユーザも歓迎するでしょう。
でも長期使用でのパッド破損は誰にでもあると思うのですべて交換対応していたら結構コストがかかるのではないでしょうか。
というわけで、これからパッキングして送らなきゃ。
2016年
1月
02日
土
本年もよろしくお願い申し上げます。
皆様のご多幸を心よりお祈り致しております。
さて、このサイトはポートレート写真撮影であるとか、いくつかの趣味やコレクションについて紹介させていただいたりするなどしております。すべての分野を同時進行させるのは時間的にもなかなか難しいため、気分や状況によって一部の分野に偏った更新がなされる場合がありますがご容赦下さい。またこのサイトではまだ紹介していないクルマ関連の趣味については、現時点では他のブログサイトにて紹介させていただいております。
http://minkara.carview.co.jp/userid/128652/profile/
最近こちらの情報の更新などに忙しかったりしてますが、これからこのサイトをさらに充実させるための案を練っているところです。取り敢えずは、
に手を付けていこうと思います。実際それらのいくつかについては原稿に手を付けているのですが、情報量も多くまだ公開できるまでには至っていません。
申し訳ありませんが、今少しお待ち下さい。
それではこのサイトにお越しいただいた皆様にお礼申し上げますとともに、今年もまた良き年でありますよう、お祈りを致しております。
サイト管理人より。
2015年
9月
30日
水
突然ですが、我が家のクロスポロくんとお別れになってしまいました。
2011年に我が家にやって来たクロスポロくん。納車後4年数ヶ月、家族の通勤用としてまたお買い物や駅までの送り迎え用として、元気に活躍してくれていました。主なドライバーの家族も乗れば乗るほど気に入ってとても可愛がっていました。もちろん自分自身もクロスポロくんに対しては、それまでのゴルフ4とは異なりあちこちに手を入れてあげたり洗車や整備をしたりしていましたし、たまには自分のゴルフRくんを乗らずにこちらのクロスポロくんを運転して、その軽い身のこなしぶりを楽しんだりしていました。
クロスポロくんはナンチャッテSUVですからエンジンは普通のポロと同じで1.2Lダウンサイジングターボです。でも1.2L—SOHCとはとても思えないほど発進加速はスムーズかつパワフルで、普通に乗るにはパワー不足など一切感じませんでした。ただナンチャッテのために無理をして?履いている205/40-17インチタイヤのせいか、路面の状況を拾いやすく乗り心地が硬めであることが玉にきずといったことが欠点といえば欠点であった程度でした。それが・・・
9月の中旬日本を襲った台風と秋雨前線による大雨で大変なことになりました。家族が運転して朝の出勤途中のこと。大雨のためいつもメインで通る県道が冠水により酷い渋滞を引き起こしていたのを見た家族は、他のクルマに続いて迂回路である住宅街に入っていったのが不幸の始まりだったのです。遅刻を恐れた家族は路面冠水を気にもせず前のクルマに続いて走行していたのですが、突然の大雨でその地域一帯が急激に増水を始めていたことに注意がいかなかったようです。当然道路は冠水状態だったところへ、思い切り突っ込んでしまいました。道路前方が上り坂のため冠水していなかったことから、家族はそのまま抜け切れると思ったのでしょう。逆にアクセルを少し踏み込んで逃げ切ろうとしたのですが、それが運の尽き。あえなくクロスポロくんはエンジンの動きを止めてしまったのでした。ナンチャッテSUVはやっぱりナンチャッテでした。ついでに後続のクルマも止まってしまい、数台がいきなり冠水でダウンしてしまったのです。
クルマは冠水はしていましたが、洪水などでよく目にするような浸水とか水没といったほどではなくホイール中心部あたりまで冠水していた程度で、車室内は殆ど浸水していませんでした。でも再度エンジンを起動させようにも全くかからなかったそうです(本当は浸水した場合にはエンジンをかけてはいけないらしいのですが・・・)。
当時はあちこちで冠水浸水被害が起き、レッカー車の手配をしても半日近く待たされた挙句、やっとディーラーに運び込みました。VWのエマージェンシーサービスに電話をしたレッカーが最も早く現場に到着したそうです(エマージェンシーサービスに感謝します)。
ディーラーにて被害状況を診ていただいたところ、最悪なことにインテーク側吸気口からエアフィルターを通り抜けシリンダー内まで水が侵入してしまっており、もはやエンジン交換以外に修理の方法はないとのこと。家族一同ショックを受けました。修理見積もりが軽く3ケタに上ってしまったからです。まあクルマの心臓部が急死してしまったのだから、修理が高額になってしまうのもわかりますが、あれだけ家族が気に入っていたクロスポロくんが、しかも一見どこも異常はないように見えるクルマが廃車の瀬戸際に立たされてしまっているのですから。
昨今豪雨の被害やクルマの水没などをTVで目にするにつけ、冠水や水没などの怖さを話してきたつもりなのに、自分たちがそれらと同じ災害に見舞われるなんてことは考えもしませんでした。
車両保険は当然加入していましたし天災にも適用できる特約だったのはせめてもの救いでしたが、それでも全損扱いにはしてもらえず、結局エンジン交換までの修理費しか出してもらえないということでした。
そこで家族一同頭を悩ませることになりました。大好きなクロスポロくんをあくまで修理して乗るべきかどうか、それともこれを機に新車を買い直すか。ディーラーさんによれば修理したとしても完全に復旧できるとは断言できないそうです(後日急に不具合が起きる可能性を捨てきれない)、一方新車に乗り換えるにしても保険で出していただける金額は頭金にしかならないことです。クロスポロくんはまだままだ乗り続ける予定でしたのでクルマを急に購入する予定はしていませんでした。
いろいろ悩みましたが、通勤に使用しているクルマなので早く結論を出さないと不自由な生活が続きます。そこで最終的に結論を出したのは、やはり苦労しても新車にしようということでした。何しろ主な運転者は家族なのです。しかも女性です。例えば一年くらい経って急に走行中不具合が起きたりしたらどうにもなりません。その恐れが怖くなり家族は乗り換えることを強く希望するようになりました。
というわけで、あれだけ大切にしていたクロスポロくんはとお別れするという悲しい決断をすることになりました。不動車が決定したクロスポロくんは残念ながら廃車となります。まさかこんな運命が待ち受けていたなんて誰が予想できたでしょう。我が家の家族一同、最近では最もショックな出来事でした。
追伸ですが、クルマが浸水したことばかり注目が行ってしまったのですけれど、実は家族の着用していた通勤用の衣服、靴などがクルマから脱出の際に膝まで水に浸かってしまい(汚水同様です)、これも捨てざるを得なくなってしまいダブルショックでした。それでも命の危険がなかったことだけは不幸中の幸いというべきなのですね。
それにしても近年は何かおかしい異常気象が続きますね・・・
(CarViewみんカラブログからの転載)
原文は、carviewサイトのみんカラブログをご参照ください。
クルマに関しては、こちらのサイトに『らむ』というブログサイトを運営し、自分のクルマについての情報を公開しています。
2014年
11月
03日
月
思ってiTunesに入れたわけではなく、CDを丸ごとリッピングしちゃったりしてるものだから、ライブラリーのなかには今まで一度も聴いていない曲が入っていたりしています。
2014年
10月
13日
月
サイトの管理人はマンション住まいです。新しいマンションではないのでネットワーク環境は余り良いとは言えません。それでも頑張ってADSL時代に始まり、その後はマンション管理組合にお願いしてNTT光フレッツを導入していただきました。ところが、当時の技術では既設マンションにファイバーを通すことは出来ず、VDSLという仕組みに変換して引き込んでしました。
ところがこのVDSLという建物内配線はくせもので、マンション建物にあるMDF室という電話やネット回線などの集合端末機器を収納している部屋からの距離が遠い住戸ほどデータの回線速度が出ないのです。本サイト管理人の住戸は10階の隅っこの住戸なのでもう涙目。最近ひどいときには下り回線で1Mbpsすら出ないという、これで光フレッツと言えるのかという情けない状況でした。
そこへギガフレッツのCM。VDSLじゃ関係ないと指をくわえてみていたのですが、ひょっとして技術が進んでいたりしてと思いNTTさんに連絡してみました。するとすんなりと「わかりました~実際に工事してみないとわかりませんがやってみましょう」と言ってくれたのです!
でも今までVDSLだったという経緯もあり、VDSLも換えられるんですか?と聞いたら、「配管の中にファイバーを引き直します」と仰るではないですか!
一気に期待は膨らみました。
そして工事日。NTT関連会社の方がたった一人来られて、配管の中に太さ1-1.5mmくらいと思われる細~いファイバーを電話線の配管内にスルスルと入れていきます。実は私、そのパイプの中に自分で勝手にギガビット・イーサネットのLANケーブルを通したりしていたのでNTTの方は少し苦労されていたようですが、何とかクリアして無事に我が家の中までファイバーが来たのです!
写真は交換されたファイバー対応通信クロゼットです。左下の白いケーブルがファイバー。右上のケーブルは他の部屋へ配線するために自分で設置したギガビットLAN。その下にVDSLのコンセントが見えます。配線はまだ残っていますがもう使われることはありません。
ファイバーに接続される端末はNTTのルーターなのですが、これがまた今年の春に出たばかりの最新鋭。LANポートはもちろんギガビットだし、WiFiはなんと同時に3本も設定できて、802.11a/b/g/n/ac。2.4GHzと5GHz両対応。しかもIPv4とIPv6接続もできます。もう何も言うことありません。今まではNTTの終端ルーターは使い物にならなかったけど、これは満足以上のものでした。
さて設置は1時間半で完了し、早速使ってみました。それが上のキャプチャしたスピードテスト結果です。ギガビットって言うくらいだからせめて数百Mbpsくらい行ったらすごかったけど、まあでも下り114Mbps上り78Mbpsは立派です!ていうかVDSL時代に比べて一挙に100倍くらい速度が上がったのですから文句ありません。何回か計測してみると下りは120Mbpsくらいまで、上りは92Mbpsくらいまで伸びました。このスピードテストでのメーターは100Mbpsまでですから完全にメーターを振り切ります。
私の住んでいるところは大都市の真ん中ではなく、郊外というか地方都市みたいなところなので、そんなところでもこの速度が出ちゃうギガフレッツっていったい・・・
まあこれも皆さんがこぞってギガフレッツになると速度は落ちてきちゃうかも知れませんが、従来のVDSLに比べたら全く問題はないし、家の中までファイバーが通っていれば将来の技術革新でも対応していただけそうです。
これだけ劇的に性能が上がった光フレッツですが、マンションタイプなので価格はVDSL時代のBフレッツと変わらないのです。
NTTギガフレッツ、凄すぎる。
2013年
6月
21日
金
前回のブログでフォルクスワーゲンのゴルフを契約しましたっ!とご報告しましたが、もうクルマは納車されてそのドライビング・プレジャーに堪能させてもらっています(^^)。納車以来どちらかというと車専門のSNSサイト側のブログ・アップデートをしたり、クルマ(だけ)の写真をアップしてきたり、そのクルマ向けのパーツレビューなんかもしたり忙しくしてましたが、やっとその新しいクルマで恵美さんを連れ出しました。もう桜の時期は過ぎ去ってしまったので、一計を案じて新しいクルマと恵美さんという組み合わせで撮影してみました。
ポートレートにクルマというのも邪道かもしれませんし、間違えると単なるスナップになってしまう恐れもあったのですが、そこはチャレンジです。最初はモーターショウっぽくしてみたかったのですが、景色がイベント会場ではないのでまったく雰囲気が出ずにボツ。そこで今度はクルマの雑誌によく見られるレビュー写真とか、モデルさんの写真とかをイメージしてみました。
本当は恵美さんに実際に運転してもらいながら運転中の写真も撮りたかったのですが、新車をそのまま廃車にされてしまいそうなので断念しました(笑)。
それでも恵美さんのモデル・オーラがたまたま居合わせたドライブやツーリングの人たちの興味を引いたらしく、注目されて撮影続行が恥ずかしくなったほどです。雑誌撮影でなくてごめんなさい。
でも、助手席を暖めるのが趣味だという恵美さんはドライブは大好きなので、自然で楽しい表情が写真に織り込めたと思います。
2013年
6月
06日
木
コンピュータの世界でサイバーテロや犯罪の恐怖に晒される事件が頻繁にニュースを賑わせています。様々なサービス運営企業のサーバーがハッキングされ、大量のID、クレジットカード情報やパスワードが盗まれて悪用されるだけでなく、国家機密などの重要情報が盗まれたり、末端では個人のパソコンに保存してある情報が、スパイウェアやアドウェアによって個人の意志に関わらず勝手に抜き取られてしまったりしています。これらのサイバー犯罪とその対策は互いに進化を繰り返しており止まることを知りません。
これと自動車の話では何が関係するの?
今日時点ではまだあまり心配するような事にはなっていないと思いますが、これだけコンピュータ制御が進化を続ける車両技術にとって実は近いうちに大いに関係することになると思います。
すでに現代の最新技術では、クルマの制御はもはや電子制御技術に頼らないと生きていけないとすら思えるほど高度な進化を遂げています。車両に搭載されているマイクロコンピュータの数も少なくとも数十個にのぼり、それらの多くは互いにCAN(Controller Area Network)と呼ばれる車両内のLANで結ばれています。車両の中には複数のCANバスが敷設され、制御する箇所の状況や変化を情報として流し、代わりにコマンドを受け取ってしかるべき制御を互いに連携しながら行っています。
今やドライバーがアクセルを踏み込んだり緩めたり、シフトレバーを操作したりする操作は機械的にクルマを操作するのではなく、情報としてコントローラが受け取りエンジンやトランスミッションを制御するようになっています。ハイブリッド車や電気自動車ともなると、クルマの基本要素である走る・曲がる・止まるといったことさえすべてがコンピュータで制御されているのです。CAN-BUSによる連携プレイによってドライバーの意志(操作)とクルマの置かれている具体的な状況とを組み合わせて、かつてないほどドライバーの欲しているクルマの挙動へと結びつけることが出来るようになってきているのです。さらにそうした操作・挙動を学習・記憶することによって、そのクルマは徐々にオーナーの特性を盛り込んだクルマへと変化していくようになっています。
さらに半導体メモリの進化による大きな記憶容量によって、運転中に起きた様々な問題、動作不具合の記録とか異常なデータなどを逐一記録しておくことで、クルマの整備に関しても飛躍的に向上しています。そしてそれはディーラーの整備用コンピュータからメーカーに吸い上げられ、問題箇所の集計であるとか解決への糸口を探したり、むろんクルマの開発部門へのフィードバックとして生かされつつあります。
現在自動車産業や電子通信業界ではテレマティックス(Telematics)という用途技術に対して期待が高まっています。テレマティックスとは自動車の電子情報機器を携帯電話回線などを経由してブロードバンド接続させることで、より一層のリアルタイム情報処理を目指そうというものです。クルマは動的なものですから、いつ・どこで・何が起きるか分かりません。
高度化したクルマの制御機器は開発者の知らないところで予期しない不具合(バグ)が出て乗員を危険な目に遭わせるかも知れないのです。少しでもそういう可能性・リスクを低減させるためには、クルマが整備入庫したときにだけデータを吸い上げるのでは間に合わないかも知れません。
メーカーにとってみれば、ダイナミックにデータを取得し続けることはこれからのクルマの安全管理上欠かせないものになるかもしれないのです。さらに販売納車された膨大な台数のクルマがどのような走り方をしているのかという、ビッグデータを取得することでその時代に即した新しいクルマの開発にも役立つでしょう。
その一方でクルマの所有者にとっても、出先でクルマが故障して途方に暮れるという可能性が少しでも減ることは有り難いことですし、さらには最新のランドマークとカーナビを結びつけることで、より便利な周辺ガイドや渋滞情報、天気予報などさまざまな便利情報をリアルタイムに入手できるためものすごく便利になることは想像に難くありません。先般猛吹雪での閉じ込めにより痛ましい事件があったことを思い出しますが、テレマティックスによりこうした危機的状況に際しても的確に救助やサービスを受けることが出来るのも大きなメリットと言えます。
ここまではいい話ですが、これから少し怖い話になっていきます。
このテレマティックスを最大限活用するためには、クルマの情報を必要に応じて細かくサービス提供者に対して送信しなければなりません。それはつまりCAN-BUSとブロードバンドが互いに接続されていることが必要になってきます。サービス提供者とは一般の民間サービス(天気予報など)もあるでしょうし、クルマメーカーやディーラーサービスなどもあるでしょう。さらに将来は公的なサービスともつながる可能性が大きいですし、果ては救急救命や救難救助、地域の病院ネットワークなどともサービス提供を行っていくのかも知れません。
しかし、極端に言えばテレマティックスによるブロードバンド接続されたノードをハッカーが見つけたとすると、そこに設置してあるはずのファイアーウォールさえ突破できればハッカーは容易にリモートで特定の(しかも現在走行中の)クルマのCAN-BUSに入り込むことが出来ることになります。CAN-BUSに一度入り込んでしまったら、基幹部分を乗っ取ってしまうことすらできるかもしれません。
一例ですが、昨今ECUやATチューンなどが盛んになりつつあります。コーディングと呼ばれる機能設定用の記憶領域のデータ変更や、エラーログのリセットなども行われるようになりました。メーカー側ではデータの暗号化処理などプロテクトに取り組みだしてはいますが、それもどんどん破られているのが実情です。
パソコンと異なり固有のパスワードで保護することの出来ないクルマのコンピュータやLANは、一度市販されれば破られるのは時間の問題でしょう。なぜかと言えば世の中に使われているあらゆるコンピュータは、エミュレータという開発用の装置を接続するだけで、その道の専門家であれば容易に内部のソフトの解析が出来てしまうからです。それはいくらソフト(プログラム)を暗号化しても分かってしまいます。市販車のコンピュータをエミュレータに接続すればいいだけなのですから。
もし悪意あるサイバーテロやハッキングからテレマティックスの仕組みを悪用してクルマに入り込んできたとしたら、実際にどんなことが起きるのでしょう?考えたくもありませんが、すこし大げさに想定しておきましょう。
もっとも軽いパターンで、クルマの軌跡や走行している現在地情報、行き先などを盗まれたり、ナビに登録した地点や検索履歴、ハンズフリーの電話帳などを盗まれたり、いわゆるプライバシーが侵害されます。最悪のパターンですとCAN-BUS情報を操作されることで、いきなりメーターがでたらめの表示を始めるとか、センサー情報を攪乱されることでエンジンがオーバーヒートする、空燃比がでたらめになってエンジンの調子が悪くなるなど故障を引き起こされたり、踏んでもいないアクセルを操作されて急発進・急加速したりクルーズコントロールの設定を変えられてしまうなどドライバーの意志や操作を遮って勝手にクルマが暴走を始めることすらもあるかもしれません。
コンピュータをハックされると言うことは、ドライバーやパッセンジャーの命を脅かすことすらも可能なのです。
しかもたとえリアルタイムにハックされなかったにしても、時限爆弾型のウィルスを仕込まれて、特定の車種が特定の日時に一斉に暴走を始めるというような深刻なサイバーテロすら考えられます。恐ろしいことですが、テレマティックスによるIP接続さえ出来ていれば、技術的には可能なことです。
クルマ発売後すぐには脅威は少ないでしょうが時間が経てばハッカー達はクルマの制御システムを解析し、そのクルマのセキュリティ・ホールを見つけ出します。常にメーカー系列のディーラーサービスで整備を受けていればクルマのコンピュータをバージョンアップできますが、一般の民間整備工場で整備されたクルマはバージョンアップなどできないでしょう。そうした古いソフトのままのクルマがずっと長い間ハッキングの危険にさらされながら市中を走り続けることになるのです。
サイバーテロを仕掛ける悪意ある人々にとっては、特定の車種で100%不具合を起こさせる必要はなく、例えば日本中の各地でとか世界中の各地で特定のクルマが何台も一斉に不具合を起こしたというだけでも、大パニックを起こすことに間違いないでしょう。
またテレマティックス機能を持っていないクルマであっても、第三者の手で悪意のあるECU/ATチューニングが行われた場合、似たようなことがオフラインでもできてしまうのです。悪意あるプログラムは実行後跡形もなく証拠を消してしまうようにも作れますので、タチが悪いです。とくにクルマの基幹コンピュータは、たとえ全損事故などで車体が原形をとどめていないような状況でも唯一生き残るように設計されていますので、最も悪意の標的になる可能性が高いと言えます。
もちろんクルマのメーカー各社だけでなく政府機関もこうした可能性に気付いてはいるようです。テレマティックスや車載コンピュータに対するセキュリティー、被害を最小限(表面のみ)にとどめるためのファイアーウォールなどについても研究が進められています。しかし現時点でこれだけ簡単にROMチューンができてしまっている現状と、CA-BUSへの容易なアクセス方法が分かってしまっている中では、それらを扱うことのできる人々の『良心』だけによって支えられているといっても過言でないかも知れないわけです。
そして怖いのは、現時点でコンピュータのセキュリティーが不十分かもしれないクルマが殆どをしめるなかで、その多くはまだ10年近くもどこかを走り続けることになるということなのです。
LTEなど携帯電話回線のブロードバンド化がもの凄い勢いで進んでします。テレマティックスに対する通信業界の期待度も高く、特別なコストで安価にサブスクリプションを提供する動きにあり、普及が進むことは間違いのないところです。整備やオーナーの利便性を損なうことなく、このようなサイバーテロの脅威に対していかに車両を安全に守っていくのか、たいへんに重要な課題と言えるでしょう。
<Carview みんカラで運営しているブログより転載しました。>
2013年
2月
27日
水
フォルクスワーゲンGOLF Rを契約しました。 家族行きつけのフォルクスワーゲン店さんに相談を持ちかけて、わずか2日間で現在愛用しているBMW 330iからGOLF Rへ乗り換えることを決めてしまいました。
今のBMW E46 330iは購入後丸8年約7万キロ乗ってきましたが、これっぽっちの不満もないどころか益々愛着を覚えて可愛がってきました。E46の泣き所(故障の多く報告されているところ)は予防交換を行い、アルピナの足回りを入れ、ライトチューンを行うなどすることで自分の中では理想的なクルマに仕上がっていました。今年もそろそろ痛みの出てきたシートをそっくりレカロに入れ替えて、ボディのガラスコートをやり直してピカピカにしようと意気込んでいたのです。それがなぜ唐突にGOLF?
自分でも自分自身の気持ちや心の変化をきちんと説明できない部分もあるのですが、そこには今までのクルマ経歴と指向、自分の年齢、モデルチェンジや消費税増税など買い換えタイミングについて諸々の要因が複雑に絡み合っているのだと思います。少なくとも買い換えを狙って検討を重ねてきたのとも違うし、衝動買いとも違います。最終的に背中を押したのは確かにディーラーさんから破格とも言える衝撃プライスをご呈示いただいたことにありますが、それよりも今も惚れている我がE46 330iに別れを告げること自体想像できないことでした。
もともと振り返ってみると、自分のクルマ経歴(家族用も含む)からは一台一台新しい事を学ばせてもらいました。スカイライン2000GTターボ(ジャパン)では、国産初のターボエンジン(L20ET)搭載として背中をシートに押しつけられる加速感に酔い、(もう時効ですが)スピードリミッターが働くまで新幹線並みの感覚を味わったり。次のファミリアでは、始めてボーイズレーサーというコンパクトカーで大型車をぶっちぎる楽しさ、また国産初のフルタイム4WD+DOHCターボという当時としては超強力なパワートレーンを体験。改めてスカイラインGTR(BNR32)を買おうとして心変わりしBMW E36を購入してからというもの、運転していて思わず唸ってしまうくらいの身体とクルマとの一体感に惚れ惚れし、現在のE46では恐らくその頂点を極めたのではないかと思えるほど完成されたクルマに出会ったのでした。
どこのクルマも同じですが、モデルチェンジを繰り返す中でボディは益々大きくなり重くなっています。それを補うように新しい技術がどんどん開発されていて、クルマ自体の挙動は益々洗練されてきています。BMWもE46のあとE90系そして現行のF30系へとバトンタッチする中で、ドライビング・プレジャーという観点では15年近く前に設計されたE46よりも遙かに高い頂点を目指していると思いますが、自分を包み込む箱(BOX)という意味ではすでに自分の許容量を超えてしまいました。本当はE46でもなくE36あたり(5ナンバー枠)が自分にはベスト・フィットするからです。正確には比べていませんが、もはや今の3シリーズはかつての5シリーズ並にあるのではないでしょうか。その用途が主に高速ツーリングにあるのでしたら許せても、街乗りから郊外、山間地や雪路などを万遍なく乗り回す私にとって、身体を包み込むボディサイズが許容を超えた大きさになることは論外でもあるのです。
E90が本国で発売されたとき、すでにそのボディが私の許容を超えたことを知ってすぐさまE46へと買い換えを決意させたのもそれが理由でした。ですからその後素晴らしいパワートレーンを持った335iなどが発売されても食指は動かなかったし、F30が出たときも同様でした。 その一方でGOLFはといえば、実は家族用としてGOLF IIIと出会い購入したのが最初でした。BMWは一応プレミアムカーなので装備も国産ラグジュアリークラスのものを持っていますが、GOLFはまあ褒められるのはボディや塗装の耐久性くらいか?と思えるほどでエンジンは特にどうってことないしFFの典型みたいなハンドリングだし、内装は安っぽいし。それでもさすがと思ったのは高速道路でのどしっとした安定感のある走りでした。
それがGOLF IVに買い換えて、一応内装や装備は国産車クラスに追いついてきて、エレキやマイコンの使い方も相当上手になってきたかなと思っていましたが、あくまで家族の車なので家族が好きというなら買ったらいいんじゃない?という程度だったのです。 しかし、そのGOLF IVのときにフォルクスワーゲンには大きな動きがあり、BMWのMファクトリーのようなメーカーチューンとしてR32というスパルタンなGOLFを世に送り出したのです。あのエンジンルームにV型6気筒3.2L-DOHCを押し込んで、しかも突然フルタイム4WDというパワートレーンは、かつてファミリア4WD-GTでワクワクさせてくれた興奮を呼び起こさせるのに十分でした。でも当時はBMWにぞっこんだったことと限定車で即日完売状態であったこともあり、そのまま時は流れていきました。これがGOLF R系との最初の出会いです。少なくとも私の頭の片隅にしっかりとインプットされました。
その後GOLFは世代も更新してVの時代となりますが、ずんぐりむっくりしたボディスタイルはあまり好きになれず、またBMWよろしく肥大化したボディは家族の心も離れさせていきました。家族のGOLF IVが丸7年となり買い換えることにしましたが、そこで出会ったのが最新のGOLF VIとPOLO 6Rでした。両方ともハイラインを試乗させてもらいましたがそれはかつてのGOLF IIIで抱いたようなイメージを完全に払拭させるものでした。1.2L TSIエンジンは軽やかでもしっかりとした加速をし、ブレーキフィールも大きく改善されていました。ハンドリングもFFのクセを抑え込んで取り回しも良く、特にGOLFは室内も静かで装備的にもBMWのようなプレミアムセダンに追いついているなと思いました。そしてやはりというかボディが大きいこと!こりゃ自分のE46を上回るほどの室内空間だなと舌を巻いたほどです。POLOはというとさずがに安っぽい感は否めませんが、かつてのPOLOに比べると大幅な進化を遂げて加速時のグリップがものすごくよくなり、TSIのトルク感もたいしたものです。街乗りも楽しく高速安定性も対比される国産リッターカーなど比べものにならないでしょう(実際比べたことはありませんが)。結局家族はなんちゃってSUVのクロスポロを購入しましたが、クロスポロを購入する課程の中で、最新のGOLF Rのことを知りました。でもその時点ではまだGOLF Rへの購入意欲は沸きませんでした。
BMW E46については、ディーラーさんとも深いお付き合いをいただくと共に横浜の有名なショップであるスタディーさんにもお世話になることで、徐々に定期更新やライトチューンを施してきました。今でも皆さんに仰っていただけるのはボディー塗装の美しさで、平日は幸いなことに日中ビル内駐車場に置いているため洗車傷はあるものの錆や劣化は全く見られず、きれいに周りの景色を映し出してくれています。一方でエンジンも補機類の予防交換などをしているため回転もスムーズでエンジン音も変な雑音はなく、加速はオカタプロジェクツのプラズマダイレクトのおかげで3Lならではの強力なトルクで引っ張ってくれます。もちろんこれはその後に登場した335iなどにかなうわけはありませんが、それでも購入当初の性能をきちんと維持していると思います。ただ内装的にはどうしてもシートの経年的な劣化、随所に使われているプラスチック系部品の劣化などがあり、徐々にですが交換しなければならない箇所が増えてきました。
今年は、そのへたってきた前席シートをレカロに交換し、またボディーコートもしっかりしたガラスコートにすることで若返りを図ろうと計画していました。いろいろ見積もりも取り始めていました。そんな中で情報として入ってきたのは、昨年秋からドイツ本国で発売になった新型ゴルフ(GOLF 7)と現行GOLF VIの販売終了が近いこと。調べると、やはりでしたがGOLF Rについては昨年春頃にはすでに生産を完了しており、完成車在庫のみで回してきたことでした。現在のE46 330i購入時とまったく同じ状況だったのです。もちろん情報としては、すでにVWではGOLF 7ベースのRを開発しており、市場投入は来年以降になるということでした。日本でのGOLF7は、当面CLやハイラインなどを夏に登場させ、その後GTIの発表、その次がRになるようです。
私のクルマの買い方としては、モデル初期に購入することはあまりありません。特に輸入車についてはモデル末期に購入する事にしています。モデル末期は量産技術も安定し多くの不具合対策部品を最初から装着していることが多いのです。実際、購入したE36(328i)もE46(330i)も泣き所と言われた部分の多くは長期にわたり使用しても不具合の発生を経験していないことが分かっています。もしこのままE46に乗り続けるとしても、長くて5年から8年が限界ではないかと思いますが頭の中でシミュレーションをしてみました。その時点での自分の年齢、経済力。またこれからもきっと大きくなり続け、価格も上昇を続ける3シリーズ。円安がさらに進めば価格の値上げすら行われるかも知れません。来年春にはおそらく消費税は8%となり、そのあとすぐ10%になるでしょう。その時点ではGOLF 7Rはまだ市場に出たばかりで値引きもなく価格も今の6Rより値上げすらされているかも知れません。もちろん量産技術も安定していないでしょうから不具合発生の確率は高いままです。まてよ、そうしたらずっとE46にしがみついてビンテージカーになるまで乗る羽目になるの?でもそのときは、部品こそ供給されるだろうけれど価格は上昇するでしょうし、部品在庫も減らされて修理に時間がかかるようになり、またチューニングパーツは間違いなく次々に生産を止めていくでしょう。思うようなクルマにできず純正に戻る他はなくなっていくと思います。
そう考えたとき、もしGOLF Rが気になるのだったら、ディーラーさんと交渉してみるのも悪くないかもと思い始めたのでした。 クロスポロでお世話になっているディーラーさんで、担当の営業の方に正直なところをお話しして相談をしてみました。すると、GOLF Rはすでに完成在庫しかないが、わずかながらメーカープールに在庫車が数台?あり入手可能とのことで、また突然結論に至ってしまったためE46用に考えていたシートとガラスコート分の予算くらいしか割り当てていなかった我が家の状況でも支払える見込みとなる価格プランを提示されて、最終的に決断に至ったわけです。 そのような経緯だったため、GOLF試乗については2年前の1.2TSIハイラインしかなく、過去も含めてR系には一切経験がないので不安はかなりあります。試乗レポートなどは結構読みあさってみましたが、プロのレポーターによる記事はいいことしか書いていないのが普通ですからあまり信用できません。しかもGOLF Rは出荷台数的にも少ないでしょうから一般の方々の評価も殆どありません。
ううむ、心配だ。でもそれなりに過去の経験から4気筒ツインカムダーボの感覚(それもドッカンターボの感覚)やフルタイム4WDの挙動などは理解していますので、それらについては時代が進んだ分ずっと洗練されているのではないかなと期待したいです。M3を買うお金はありませんが、その半額の500万円で買えるメーカーファクトリーチューン車ってどんなもんだろう。VW社の意地を見せて欲しいものです。 納車はまだ先(といっても半月以内ですが)なので、それまでの間なごり惜しいですが愛するBMW E46の美しいまでの理想的なドライブフィールを身体に刻みつけておこうと思います。
原文は、carviewサイトのみんカラブログをご参照ください。
クルマに関しては、こちらのサイトに『らむ』というブログサイトを運営し、自分のクルマについての情報を公開しています。
2012年
8月
01日
水
Softbank Mobileの新しいCMで、「新しいおじいさんだよ」というのが最近流れていますよね。あのバックに流れている曲ご存じですか?あれは、今から何と44年も前にNHKの朝のテレビ小説(朝ドラ)で放映された、「おはなはん」というドラマのオープニングで流れていたテーマ曲なんですね。ひょっとしてこれからソフトバンクは最近のDoCoMoに対抗してシルバー世代を狙っているのかも知れません。
おはなはんはさすがに古すぎてご存じない方が多いとは思いますが、それを含めて1961年から1992年に至るまでの朝ドラを一気に収録した「朝ドラ」というCDが発売されています。
>NHK連続テレビ小説テーマ集「朝ドラ」はコチラ(amazon)
実はこのCD、実際に放送で使用された音源を収録していて実に涙ものではあるのですが、ちょっと古くね?ってわけで、もう少し新しい朝ドラのテーマ曲をまとめたCDもあるんですね~これが。 こちらが今回のオススメです。
>NHK連続テレビ小説テーマ集「ドラマージュ・ザ・モーニング」(amazon)
というやつです。こちらは1990年代から2000年代前半にかけての比較的馴染みのあるドラマのテーマ曲ばかり収録されています。こちらも当時発売されたオリジナルサウンドトラックからテーマ曲ばかり引き抜いてまとめたものです。録音も新しいので音質もずっといいです。amazonの評価を見ると、音源がオリジナルと違うとクレームが入っているようですが、CDには確かにオリジナルと書いてあるので真偽のほどはわかりません。でもこれを聴くと懐かしさとともに身体全体がまるで朝のような、背伸びをしたくなるような清々しい気持ちに包まれました。
本当に不思議なことですが、iPhoneで聴いていても、クルマの中で流していても気持ちというか空気が爽やかに感じられます。これぞまさしくコンピレーションなのかもしれません。ドラマそのものまでまた観たいというわけではないのですが、これらの曲を聴いているだけで癒されます。NHKもテーマ曲制作に毎回苦労していると思いますが、私たちの身体に知らず知らずのうちに染み渡っていたんですね。ほんとうに凄いことだと思います。
もし興味があればamazonの試聴ボタンで聴いてみてくださいね。きっと思わずポチッとしてしまうかもです。
2012年
5月
01日
火
このStudio_RUMウェブも、公開を始めてから間もなく1年が過ぎようとしています。もともとポートレート写真を公開(一部頒布)するつもりで始めたのがきっかけなのですが、カメラコレクションやオーディオ・ラジオのコレクションなどのコーナーも追加しながらここまで来ました。訪れてくださる方々の数も右肩上がりで、皆様に感謝申し上げます。これからもサイトの拡充を図って参りますので、ご興味のページ以外の内容についても是非お楽しみいただければ幸いです。
さて、この度はCanon一眼レフカメラ・コレクションのコーナーで、FLレンズやFDレンズを中心とした所蔵レンズについてご紹介させていただきました。Studio_RUMサイトでの内容は、マスターの想い出などを中心にコメントされています。個々の製品につきましては各メーカーのヒストリー・ページや、他の方々が技術的・仕様的な詳細をさまざまと公開されておられるので、是非それらを併せてご覧いただければ幸いです。
また、EOSデジタル一眼レフカメラやEFレンズ群などにつきましては、現行品であることもありまだ執筆中となっております。もう少々時間をいただきたくよろしくお願いいたします。
2012年
3月
24日
土
今年の春は遅くやってきましたね。いつになく大雪に見舞われた北日本や、日本海沿岸の各地ですが、大雪が春を遅らせたのでしょうか。梅の開花も半月くらい遅れ、桜も一週間程度遅れたような気がします。
早春の梅、そして桜と同じように、菜の花もやはり春をイメージさせる季節の花です。山肌一面を黄色い絨毯のように覆い尽くす菜の花は厳しい冬を乗り越えた誰もが心温まる美しく可愛くて純粋な黄色です。それは薄くもなく山吹色のような濃い黄色でもない。本当にピュアな黄色です。いつまでも眺めていたい。眺めているだけで心が洗われ、清々しい気持ちになっていくような黄色です。それを眺めていると周りの音はすべて消え去り、少し霧に霞んだ山肌がしっとりと森を包み込みます。
僕らが出かけたマザー牧場は4月の初めでしたが、満開となった菜の花畑はまだ牧場全体というわけにはいかず、小雨が降りしきる中観光客も少なくてとても静かでした。撮影場所としては最高でしたが、数時間のうちに本格的に雨模様となり、やむなく撮影撤収のやむなきに至りました。それでも今まで撮りたかった菜の花畑に出会えた感動と、その美しさは今も忘れることは出来ません。
2012年
2月
26日
日
今年はいつになく冬らしい寒さが訪れています。東北地方や日本海沿岸などは異常なほどの大雪に見舞われて、雪には慣れているはずの地元の皆さんもご苦労されているとか。お見舞い申し上げます。
僕たちがまだ小さかった頃、越後では頭の上まで降り積もった雪景色というのは当たり前でした。東北や上信越に新幹線が開業する前のことでしたから、在来線の列車は唯一のライフラインでした。 僕が高校生の頃は、新潟の長岡から上越線・高崎線を通って上野まで走る普通電車があり、朝のホームで電車を待っていると、入ってきた電車の先頭車にはびっしりと雪がついていて、あぁ山の方は大雪なんだなぁという冬の思い出をいまでも覚えています。残念ですが今では新潟からやってくる普通電車は水上止まり。水上発の普通電車は高崎止まりと分断された運行しかしていません。その方が効率が良いのでしょうが、そうした季節感を味わうこともできなくなりました。
ところで昨年の冬に撮影した群馬県側の場所(谷川岳天神平)では雪が眩しいほどに輝き美しかったのですが、トンネルを抜けて新潟県側に入った今年(越後湯沢、越後中里)は、まるで正反対。昔ながらの水墨画をイメージさせるような山々と雪を抱いた森林には、音もなくしんしんと雪が降り積もっていました。同じ日本の雪景色というテーマでも、地域や場所が異なれば雪景色の雰囲気も全く異なります。不思議なことに年齢を重ねるにつれ、陰の世界というか水墨画のような和の世界にますます共感を覚えるようになりました。でもそうした和の趣に触れるには新幹線の駅を降り立ってすぐというわけにはいきません。できるだけ日帰りを目標としている撮影なので、なかなか絶好の場所を探し出すことは簡単ではありません。
さて、いまや無人駅となったホームに降り立った恵美さんを撮影していると、その昔僕が社会人になったばかりのころ、一緒に旅した彼女のことがファインダー越しにふと思い浮かんできました。あのときも、そして今も、同じようにしんしんと雪が降り積もり、その静寂はまるで時が止まったかのようでした。空の色も、彼女の長い髪の毛に雪が降り積もっている姿も、曇った電車の窓ガラスも、あの時のままでした。
僕は一瞬にして彼女と旅したあの日に還っていました。
その彼女は、いまはもうこの世にはいません。あのとき、もっとたくさん写真という記憶に留めておけば良かったと思いながらシャッターを切っていました。
2012年
1月
08日
日
ヲタク文化から生まれた最近のアイドルは何人か指折り挙げられるが、アキバの代表的なアイドルというと二人に分かれると思う。ひとり(ていうかグループ)は誰もが知っているAKB48であり、もうひとつはショコタンこと中川翔子さんである。
そこでアキバ系のヲタク文化を考えてみると、最近のそれはラジオ少年やアマ無線少年、マイコン・パソコン少年といった本質的な電気少年たちのことではない。むしろバブル以降にアキバの街を大きく変貌させる要因にもなった、ゲーム、コミックやフィギュア関連の新しいセグメントに属する人々のことを指しているのではないかと思う。
ヲタクとマニアという二つのセグメントは紙一重の存在であり、共通するところも多い。ただ、マニアは「趣味」を極めた状態のような存在なのに対して、ヲタクは必ずしも極めているとは言えないが、対象物自体がライフスタイルそのものになってしまっている状態といえばわかりやすいと思う。アキバ系の場合主にそれはコミックやアニメ、フィギュア、ゲームの類であるから、ヲタクといっても必ずしも男子だけではなく女子もいるし、実際過去のアキバ昼間人口と現在とを比べれば、明らかに女子は増えていると思う。ゲームが大好きでアニメ声優の仕事も多く手がけるショコタンはこうしたキーワードから生まれたアキバ発のアイドルと言える。そしてこの分野から発信されたコス喫茶やメイド喫茶はその延長線上としてヲタク達に広く受け入れられたことはよく知られている。
その一方でAKB48はというと、確かにアキバ発信ではあるものの明らかにショコタンとは異なる。たまたまアイドル女子グループを結成しようとした秋元康氏とそのスタッフが契約したAKB48劇場(秋葉原のドンキ内)に端を発し、その地名をグループ名にしただけである。だからAKB48をどんなにほじくり返してもそこにアキバの臭いはしないし、AKBのメンバー達も決してアキバのヲタク文化に迎合することはない。つまりAKB48はアイドル文化というアキバに新しいセグメントが生まれたということなのだ。
ただし、これらの文化は個別・単独に存在しているわけではなく、複合的なものである。従ってアイドルファンとアキバのヲタクとは一部重なり合うものがあるのも事実である。アキバヲタクの観点から異性を見てみると、コス喫茶やメイド喫茶、そしてアニソンに代表されるようにキーワードとして「ロリコン」を挙げることができると思う。秋元氏がAKB48を立ち上げて以降、彼女たちのイメージとして「女子高校生」を基本とし、「制服」を公式衣装のモチーフにしているのも、このキーワード(ロリコン)と無縁ではないと思う。
さて、このところNHKをはじめ各テレビ局でAKB48のドキュメンタリー番組が散見されるようになった。大昔のキャンディーズに始まりピンクレディーなどのドキュメンタリー番組が過去に放送されたのと同じである。それぞれにエピソードがあり、実像と虚像などの真実を知ることはたいへん興味深い。AKB48に対しても筆者自身はグループ活動当初の2005年あたりからその存在を知っていたし仕事の際にも話題として利用させていただいたこともあるので一定の知名度やファンの支持にも強いものがあると思っていた。しかし実際にはなかなか支持が伸びず2009年頃まではいつ解散してもおかしくない状態だったと言うから、てっきり最初からアイドルグループとして国内に強く発信され支持を受けてきたと思っていた筆者にとってはとても不思議に思えた。
一方で、ファンがAKB48を支持する理由付けというかファンにとってのAKB48の在り方もまた、かつてのアイドルファンのそれとは大きく異なっていることも面白い。かつてのアイドルファンは、その対象が自分の好みの女の子であることはもちろんだが、歌が上手でなければならなかった。自分には手の届かない遠く離れた存在だが、レコードを買ってきたりコンサートやライブステージ番組に出かけたりして応援をすることで疑似恋愛を楽しんでいたのである。ところが、AKB48のファンは、その対象が自分にとって好みの女の子(メンバー)であることは変わらないものの、歌が上手であることは2の次・3の次でいいらしい。確かにAKB48は自分に近い存在ではあるが、握手会に行けば握手したり言葉を交わすことすら可能だ。今までの中で最も身近なアイドルなのである。だから握手を何回もできたり言葉も交わせるように一人で何十枚もの握手券付きCDを買ったりするほうが優先されるのだ。彼らにとってAKB48は、歌手ではあっても歌う必要性はあまりないとすら思える。
以前アイドルグループには常に親衛隊なるものが存在していた。この親衛隊をアイドル事務所は上手に利用していて、ステージでもファンとの一体感を出すために歌に合わせて踊るファンの振り付けやかけ声などについて、親衛隊を経由してファン全体へと浸透させるなど整然と計画的に誘導していたようだが、AKB48の場合どうも親衛隊が存在していないようだし、ファンの振り付けも自然発生的なヲタク踊りのような気がする。おそらく昔のアイドルと異なり、大手のプロモーターが関与していないためなのか、もしくは多数のファンを作り出すための資金を投入できなかったのだろう。
AKB48にはあまり予算をかけられなかったであろうということは彼女たちのレパートリー(曲)を聴いても理解できる。まず曲のアレンジがひどい、ていうか単調である。ヲタク系ファンを意識したのか単純にワイワイガヤガヤ楽しめるような、シンプルな和音構成である。アレンジもひどい。まるでお祭りの太鼓を聴いているような単著なリズムだから、それを聴いてどう踊っても満足してしまうのである。バック演奏もひどい。もしかしてこのバックはDTM(コンピュータミュージック)で自動的にシンセサイザーを鳴らしているのかと思うような音であり、微塵もテンポの乱れがない様をみると、やはりコンピューターに演奏させたものであるような気がする。また金管楽器の薄っぺらさはシンセのブラスのような響きである。しかも彼女たちのボイスには眺めのリバーブとコーラスという強めのエフェクターをかけているから真の歌声は殆ど隠れてしまっている。メロディーやコード進行も耳障りがよく過去の曲に出てきたフレーズのいいとこ取りだ。そういう意味では小室哲哉もいいとこ取り作曲の名手であったが、それよりひどい。
そして最後にひどいのはその録音だ。昨今のJPOPSに見られるように、このAKB48もまためちゃくちゃコンプかけまくり状態である。さらに一部の曲 (Everyday、カチューシャ)は明らかにオーバーシュート(過入力)でミキサーのアンプが歪んだ状態になっている。どこかのインタビューでディレクターだかプロデューサーだかがまるで意図して歪ませたようなことを言っているが、あり得ないことだし開き直りかと思うほど白々しいコメントである。もちろんのことだが評価サイトには音の歪みに対するクレームが多く上がっている。そういう意味でお金をかけた収録とは到底思えない状況証拠ばかりである。最近のJ-POPシーンでは、デジタルMIXが当たり前の世界だ。少しまともなスタジオなら、デジタルミキサーを使用するのが当たり前である。これはマイクアンプを通ればすぐ各チャネル単位でデジタル化してしまい、イコライザとかミキシングなどはすべてDSPを通してデジタル処理される。通常マイクアンプはアナログであってもデジタル変換のダイナミックレンジよりも大きく余裕をとってありここで歪むことはまずあり得ない。その一方でデジタル変換時の過入力歪みの場合はとても聞くに堪えないブチブチした音になる。しかもこの部分では通常コンプレッション(リミッター)によりオーバーシュートしないように工夫されているので、この部分でもこんな歪みの音になることはあり得ないのだ。
「Evryday、カチューシャ」のひどい音質はアナログ信号の歪みだと思うので、古いアナログミキサー使って無意味にゲインを上げて歪ませてしまったような気がする。もちろんこれはデジタル的に生み出すこともできるのであるが、「Everyday、カチューシャ」ではギターのディストーションのように敢えてその歪みを加えたという音楽性や意図を感じることができず、単に録音に失敗しちゃったの?と思うばかりである。
一方ですべての曲がだめかというと、そうでもない。少し前の曲にはなるが「桜の栞」や「桜の木になろう」などピアノがバックの曲についてはまだマシなアレンジや録音を見せている。以上のように、AKB48のひどい録音という事実もまた、AKB48が予算困窮状態であったことを証明しているのかもしれない。たとえば良い設備のスタジオを借りられなかったり、優れた腕を持つ録音エンジニアを調達できなかったとか、スタジオミュージシャンも十分揃えられずにDTMでバックバンドを済ませてしまったとか・・・ということである。
AKB48の今後を占うとき、当の本人達もあと数年しか人気は続かないと冷静な分析をしているようだが、それは本当のことなのかも知れない。爆発的な人気を得てからわずか2年余り。握手券でCD売り上げはファンの実数以上に売れたものの、ここへきてやっと累積赤字から脱却できるかどうかという状況なのではないだろうか。今後売り上げとしても重要な柱となるべきCD制作の質的向上を早急に進めないとファンのCD離れが進み、握手会の盛り上がりに影響を及ぼし始めるだろう。握手会に影響が出始めると、今度は総選挙やじゃんけん大会などの盛り上がりにも影響が伝わり出すに違いない。そうなるとAKB48も一気に崩落の道へと走り出すかもしれないのである。そういう危険性を孕んでいると言うことだ。
筆者自身は電気少年としてアキバを聖地だと思っているのだが、現在の入り乱れたアキバも好きである。ごちゃごちゃしたドヤ街のような雰囲気も好きだけど、メイド服を着てアキバが好きだと言ってくれる女の子がいるのもまた嬉しく思う。そしてAKB48たちが姿形を変え新しいファン達を生み出しながらも、アキバ発信ということを守り続けてくれることに期待したい。
2011年
11月
20日
日
朝日新聞の記事にふと目が止まった。ヘッドフォンの記事だったのだが、『売れる萌えるヘッドホン』『音響少女』などというタイトルが気になった。
記事を読んでみると、なるほど昨今の携帯音楽プレイヤーやスマホの普及により、イヤフォンやヘッドフォンへの需要が急激に高まると同時に、それがライフスタイルに影響を与え始めたようである。ところが面白いことに、それらヘッドフォンの流行と『萌え』という異なる流行が互いにコラボしてしまったというのだから驚きである。実際に高級ヘッドフォンや高級オーディオを使いこなす女の子に『萌え』を感じるんだそうである。その上に、このような不思議なコラボが本になって話題になっているそうだ。ヘッドフォンの試用レポートと萌えイラストが組み合わされた特集本が売り上げ上位になったとのことである。
試しに買ってみた。買ってみてさすがに驚いた。なぜかというと、内容的には確かにヘッドフォンの機種ごとに結構真面目なレポート記事が掲載されているのだが、左側のページにはレポートされているヘッドフォンやイヤフォンを耳にした萌え系少女のイラストが描かれていたのである。全くジャンルの異なるトレンドを二つ強引に合わせてしまったのであるが、妙に納得してしまう部分があるのだ。
よく考えてみると、この二つを合わせても不思議なところは全くないのである。最近では少し大ぶりなヘッドフォンをつけた女の子が街を歩いているシーンをよく見るようになったし、萌えるヘッドホン読本のイラストもある種のグラビアだと思えば違和感はまるでないのだ。古い言い方だが、単なるボーダーレスの世界になっただけなのだ。
とは言っても、街ですれ違った女の子が我々ですら簡単には手の出ない高級ヘッドフォンを装着しているのに気がつくと、好奇心が頭をもたげてくる。我々と同じくオーディオへの造詣が深いのか、それとも彼女の周りにいる仲間の影響なのだろうか。何気に装着しているヘッドフォンは何を語ってくれるのだろう。実に奥が深いのである。
そう考えていくと、記事で書かれているように萌え系少女とヘッドフォンという組み合わせは確かに『ギャップ萌え』の魅力なのかもしれないが、すでにそれは必ずしもギャップではなく、もはや彼女たちの魅力を引き立たせてくれるワンポイントアクセサリーというファッションの一部になっているのだろう。
肝心のオーディオ評論としてのヘッドフォン解説であるが、残念なことに一通り読んでみて、一発でそれぞれの機種の特徴が頭に浮かんでこない。いくつかのCDタイトルでの再生表現で評価しようという試みは評価するが、内容的にぼやけた表現となってしまい、機種ごとの個性が伝わってこないのが残念であった。ただこれは萌えとのコラボが原因ではない。
逆に萌えイラストはなかなか見応えがあった。機種ごとにそれぞれ作家が異なっている。よく見るときちんとその機種を装着しているのがわかるが、それを上回る表現ですっかりヘッドフォンをイラストのシーンに取り込んでいるのは見事である。
イラストを見ながらイメージが浮かんできた。ヘッドフォンをつけた少女。面白い奥の深さを出せるかもしれない。ポートレートの題材になりそうである。
2011年
11月
12日
土
恵美さんを連れて碓氷峠まで撮影に行ってきました。明治時代に建設された鉄道の遺稿としてはあまりに有名な、碓氷第三橋梁(通称めがね橋)を背景に撮影をしたかったのです。JRの電車を乗り継いでいくのも考えましたが、横川駅からめがね橋まで歩くのは大変だし、時間があったら軽井沢まで足を伸ばしたいし、やっぱりあそこまで行くなら峠の釜飯、おぎのやで暖かいうちに食べたいよねってわけで、クルマで行きました。
元々の目的がめがね橋だったので、あいにく少し天候が悪かったのですが、しっとりとしためがね橋を背景に恵美さんを素敵に撮影することができたと思います。まためがね橋の上まで上がってトンネルなどを背景に撮影を楽しめました。奇しくも今年の秋JR東日本の旅のポスターで取り上げられていましたね。早速僕らも似たようなシーンで真似てみました(笑)
鉄道文化むらは、碓氷峠の廃線を機に、その機関区跡地を利用して生まれた鉄道公園です。碓氷峠の鉄道建設に関わる歴史などの展示や専用機関車などが展示されていますが、車両の数はあまり多くはなく少し寂しい感じでした。でも少年だった頃に確かにアブト式機関車での碓氷峠を通過した経験はあるし、その後新線ができてアブト式がなくなってからも何度か利用していますので、展示や機関車などを見ると懐かしさがこみ上げてきました。
新幹線や上信越自動車道を使うとあっという間に軽井沢に着いてしまいますから今では碓氷峠を振り返ることも少ない毎日ですが、中山道の要所であり古くから旅人を悩ませてきた碓氷峠は、人々の流れが鉄道も道路も他へ移ってしまった今、昔の静けさを取り戻したようでした。
2011年
10月
15日
土
iPhone 4Sを買いました。それも2台...自分のiPhone4 (32GB)を4S (64GB)へ買い換え。家族の3GSを4S(32GB)へと買い換えです。
昨年自分の3GSを家族へ譲り、4を購入したとき、噂を聞きつけた人々がどっと押し寄せ、ものすごい行列の渦に巻き込まれてしまいました。そこは家電量販店だったので、今回はソフトバンク・ショップへ向かいました。たまたまショップが会社のそばにあって便利だったこともありました。
予約開始とほぼ同時にショップへ向かい、受付の番号カードを受け取って待ちましたが、なかなか順番が回ってきません。どうもサーバーがパンクしたとのことです。iPhone4S狂想曲の幕開けでした。
当日は予約できず週明けとなってしまいましたが、再び出向いて無事に予約は完了しました。ところがいざ受け取り当日の14日。実際の発売日でもあったのですが、予約時間に出向くとまたまたサーバーダウンで追い返されてしまいました。結局その日は登録できないため、未登録のiPhone4Sだけを2台受け取り帰宅しました。そして土曜日午前中にリモートでの登録が完了して使えるようになりました。
今回は昨年と異なり、auのiPhone参戦で多少は申し込みが分散してくれるかなと思っていましたし、実際にショップへ行った感じでも昨年よりは気持ち少なめかな?と思っていましたが、去年に続き今年もそれなりの騒ぎが起きていたようです。やっぱりiPhoneはスマートフォンの代表であることは間違いないようですね。
iPhone4Sは確かに性能が上がっていました。画面の切り替わりなどのもたつきが全くありません。OSもバージョンアップしましたが使い勝手は全くといっていいほど変わりません。私の場合、iPhoneは会社で使用しているOutlook/Exchangeサーバーとメールやスケジュールなどすべて同期できるため、仕事からプライベートまで私の身体の一部とさえ言えるほどのツールです。うっかり家を出たり会社から帰るときiPhoneを忘れたなら必ず取りに戻るくらいです。
iPhoneは毎年新モデルが出るたび大きく性能・機能が向上するのでたいへん助かります。今回の4S登場で最も助かったのはストレージが2倍の64GBモデルが発売されたことです。もともとHDD内蔵のiPod (第三世代)を購入したのが2003年。それ以来ミュージックプレイヤーとして代々乗り換えながらiPodを愛用してきた私にとって、iPhoneへの移行は自然な成り行きでした。iPhoneの利用法は人それぞれですが、私の場合コミュニケーションツールであると同時にiPod機能は欠かせないアイテムです。音楽だけでほとんど25GBくらいは使ってしまいます。iPhone4では写真、アプリなど入れてもう30GBを超えていました。そのため64GBモデルの登場は願ってもない機能向上でした。これで一息つけます。
毎年繰り返されるiPhone狂想曲。でもそのiPhoneを目一杯使っている私はその騒ぎに負けることなく新しいモデルを追い求めていくでしょう。
2011年
10月
06日
木
ブログ記事をサボっている間に、とても悲しいニュースが飛び込んできました。Appleの創始者の一人であり、同社の前CEOでもあったSteve Jobs氏が亡くなられたのです。日本では小沢一郎氏の初公判のニュースでもちきりでありテレビではあまり大きく報道されなかったことに私はたいへん残念に思います。
私がAppleのことを最初に知ったのは学生時代でした。当時国内ではまだ『パーソナルコンピュータ』というものは存在しておらず、自分で組み立てるマイコンキットがブームになりかかったころでした。私も実験機のような基板むき出しのNEC TK-80/BSというマイコンキットを購入し、テレビ画面を前にしながらポツポツとTiny BASICでつまらないプログラムを組んでは喜んでいたのです。
ところが、そのときすでにAppleは第二世代のApple-IIへと進み、格好いい筐体に収まっていただけでなく、本格的なカラーグラフィックスやミニフロッピー・ドライブの利用など、すでに本格的なパソコンとなっていました。価格も当然相当に高価なシステムで(ひょっとしたらオプション機器も購入すれば当時の大卒新入社員の給与の半年分以上だったでしょう)間違いなく手の届かない高嶺の花でしたが、片や基板むき出しでカラーは出せず、文字しか表示できなくて、プログラムの保存もカセットテープなんていうTK-80/BSとは雲泥の差にため息をついていたものです。
その後私はマイコン(マイクロプロセッサ)と縁の大変深い業界で生きることになりましたが、その半生はすべてインテル系のプロセッサでした。Apple社の選択したプロセッサは長い間インテル以外のプロセッサでしたから、私としてはAppleはシステムとして競合する相手であったのです。ですから当然私はMS-DOS、Windowsがすべてで、Appleの提示してきたテクノロジーは否定することはなかったけれど、すぐさまインテルやMicrosoftが追いかけてくれるのを待っていました。
私とAppleとの直接的な接点はiPodです。ちょうど2003年のことでした。それまでiPodはMac-PCしか対応していなかったのですが、この第三世代のiPodからWindows対応を始めたのです。実はこのときはまだiTunesはMac-PC用しかなく、途中からWindows用iTunesが配布開始となった、本当に黎明期だったのです。それまで故障が心配だったHDDをためらいもなく使用したこの音楽プレイヤーは、私の中で大きく弾けるものを感じました。自分の持っているすべての音源を入れておき、聴きたい曲はその場で選ぶというスタイルは、まさにパラダイムシフトだったのです。これに気付かなかった保守的なSonyなどの音楽プレイヤーメーカーは大きく取り残されることになりました。このときから私はAppleと付き合いだしたのです。iPodを何世代も交代させ、いまは最新のiPhoneやiPadを利用していますが、間違いなくAppleにはしっかりとしたライフスタイル・コンセプトが存在していて、すべてのパーツやソフトの設計はだれかを真似たものではなく、明らかに脈々と進化を遂げてきた筋の通ったコンセプトに基づいていることがわかります。韓国の会社がなにやら特許紛争を仕掛けているようですが(Appleも仕掛けているけど)、iPodからiPhone/iPadに至る歴史と進化を考えると韓国の会社が何を言おうと白々しく思えてきます。
私はかつてはAppleの製品に競合するポジションにいました、しかしそのAppleから送り出されてくる製品は見事としか言い様のないほど、その時代において完成されたものであり将来を想像していたのです。グラフィックスやディスクシステムに始まり、ウィンドウ・システム(GUIですな)、LBPとベクターフォント、プロポーショナル・フォント、高速なIEEE1394、プライベートネットワークと挙げればキリがありません。さらに操作性の追求に対しては妥協することがなく、それは人間工学のもっとも優れた例として考えられると思います。単に機器の操作性だけでなく、ドラッグ&ドロップのコンセプトなどソフト面においても妥協はありませんでした。これらは、ビルゲイツ氏がうそぶいていたビジネス用途だとかコンスーマ用途だとかいうレベルの議論ではなく、もっと奥の深い『人間が使うもの』としてのぶれない追求があったと思います。そして常にWindowsはそれを追いかけていました。ある意味では、 Apple製品において数々の新しい提案がなければ、我々は現代の使いやすいWindowsパソコンを手にすることはなかったのです。
もちろんですが、Appleが大きくなってからジョブズ氏はそれらすべての開発に関与してはいなかったと思いますが、根源のコンセプトと大胆なクリエイティブな発想という開発スタイルはApple全体に浸透しているのだと思います。ですから、ジョブズ氏が逝去されてもApple社がある限り今後も新たなる『人に優しく常に新しい提案のある』技術や製品が生み出されてくるのだろうと予想します。
その昔、AppleのパソコンをWindowsパソコンを比較した短いたとえがささやかれていました。
Appleは使えなくなってもオブジェになるが、Windowsは使えなくなったらただのゴミにしかならない。
実に言い得て妙だと思いませんか?そしてそれは今のスマートフォンにも言えるかもしれません。
iPhoneは携帯電話が使えなくてもよくできた音楽プレイヤーになるが、Androidは携帯電話が使えなくなったらただのゴミにしかならない。
スティーブ・ジョブス氏のご逝去を心よりお悼み申し上げますとともに、単に彼の功績を讃えるだけではなく彼が本当に目指していたことに対して、Apple社の方々にはぶれることなく引き続き継続して目指していただきたいと思います。
妥協なく、常にハングリーで。
合掌
2011年
10月
02日
日
インテルのマイクロプロセッサーとは、8bitのi8080Aに出会って以来かれこれ30年以上付き合ってきていますが、その性能の進化はぐんぐん進むときと停滞気味になるときがあるようです。最近のCoreDuo以降、とくにCore-iになってからは年々登場するプロセッサの性能向上には目を見張るものがあります。
Pentium-MからCoreDUOになったとき、確かにパソコンの動作としても明らかに性能が上がった感じがしましたが、それはCore2Duoになって確かな感触となりました。でもそれはどちらかといえば動作クロックの上昇が寄与していたためもあるでしょう。そのためにパソコンは発熱がひどくなり、とくにノートPCでは膝において使うと低温やけどを心配しなければならないほどでした。
それがCore-iシリーズへの転換とともに一気に状況が変わったのです。半導体の微細加工技術が進み低電圧駆動・低消費電力化とともに、抜本的な回路技術への改良が加えられ、またクアッド・コア(4つのプロセッサ)プラスハイパースレッディング(HT)技術と組み合わせて最大8つのCPUが同時に動作しているような技術が開発されたのです。
そのすごさをまだ十分に使いこなせていないうちにインテルはさらなる仕掛けを加えてきました。それが所謂Sandybridgeという現在の最新Core-iシリーズです。
ここ数年私は自宅用のノートパソコンは家族用も含めてすべてLenovoのThinkpad Xシリーズで統一しています。その理由はこのブログでも紹介していますので割愛させていただきますが、このところインテルのプロセッサが新しくなる度にぐんぐん性能が上がっていくので、ついて行くことができません(トホホ...)
とはいえ家族用のパソコンもどんどん古くなり、いまさらPentium-M +WindowsXPというわけにもいかんでしょ~と一台ずつ更新してきているのですが、更新の度にぐんぐんパソコンの性能が上がるので、家族平等というわけにいかず苦慮しています(苦笑)。
2011年
7月
01日
金
ハマトラ。その言葉の響きが懐かしいです。ハマトラの似合う彼女が欲しいなと思っていた在りし日。もう30年近くも経ってしまったけれど、そしてハマトラはどこを探してもいなくなってしまったけれど、横浜・元町は昔と同じように賑わっていました。横浜と聞けばハマトラでしょって思い入れが強かったので、思わず恵美さんをハマトラ姿にしてしまいました。しかも正真正銘のフクゾーの上下とミハマの靴を組み合わせてます!キタムラのバッグも用意しましたが、撮影では使用していません。フクゾーさんには特にお願いして徹底した復刻のコーディネートとしています。これが、オリジナルのハマトラなのです。普及後の全国版とは少し違いますね。でも、30年の時を経て、ハマトラは恵美さんによってあの時を、あのときめきをしっかり再現してくれています。そして間違いなく恵美さんは、あのときの彼女やあのときの妹になっていました。
それが、今月の一枚です。
2011年
5月
31日
火
会社の業務上、PCは欠かせません。そこで会社からはノートPCが供与されているわけですが、会社の所有物なので固定資産というやっかいな存在です。固定資産となると法律で決められた償却期間というものがあって、そうそう簡単に新しいPCにはしてくれません。またIT部門というこれまたやっかいな存在がいて、認定された機種、認定されたOSバージョン、認定されたアプリでないと業務に使用してはならないことになっています。そのため世の中の最先端には大きく後れを取ったシステムが供与されたりします。
私がつい先日まで使用していたPCは、LenovoのThinkpad X60 (CoreDuo 1.8GHz)で、4年間使用しました。当時は2コアCPUの最初の頃で、まだ本体にはIBMのロゴが輝いていました。4年も使いWindowsXPシステムもアップデートを繰り返して重い重いシステムとなっていました。
先月のことですがやっと新しいPCにしてくれることになり、やって来たのは先代モデルとはいえ春先までは最先端であったLenovo X201です。CPUもCore i5となり、2コア4スレッド、ターボブーストがバリバリ効いてくれるやつです。微妙にコストをけちられて、520Mというやつ(標準2.4GHz,最大2.9GHz)ではありましたが(苦笑)
しかもOSが未だにWindowsXP(SP3)ってことには笑うしかない・・・。IT部門の話ではあと2ヶ月くらいでWindows7に入れ替えてくれるらしいけど・・・。とはいっても一気に4年間ジャンプして最新モデルになったので、悪名高きWindowsXPも見違えるように速く動作します。4スレッドの効果と、やっぱりターボブースト結構効いてます。
処理能力が相当上がってストレスがなくなったので、ちょっとXPに細工をしてみることにしました。いじった場所はいろいろあるんですが、今日はWindowsで使用されているシステムフォントを、Vista/7風のメイリオフォントに変更したお話です。単に面白がっているだけではなく、フォント規格(JIS)の改訂版に合わせたアップデート、そしてなによりWindowsXPの標準フォント(MS Goothic UI)よりもはるかに見やすくなる実益を兼ねています。
この作業はすべてマイクロソフトのお墨付きです。なぜならマイクロソフトから正式にWindowsXPへのメイリオフォント・サポートが行われているからです。
あとはアプリケーション側で標準フォントを選べるのであればメイリオを選択してあげることにより、さらにWindows7のようなクッキリスッキリした画面でWindowsXPを操作できるようになります。たとえば:
これらの変更はシステムに影響を与えることがなくマイクロソフト公認でもあるので安心して操作することが出来ます。PCが新しくなったことと相まって、すっかり気分が良くなりました。さらに、この作業でWindowsXPのシステムフォントがJIS90という古いタイプからJIS2004という新しい規格へ変更されますので、Windows Vista/7などから文書などを持ってくるときにも文字化けなどの可能性がなくなります。
※ところで、「メイリオ」というのは面白い名前のフォントなんだな~ってVistaのころから思ってはいたのですが、なぁんとその語源は「明瞭:メイリョウ」からきているんですってね~知らなかった。
2011年
5月
14日
土
先々月でしたっけ、ブログで総務省の電子申請をやってみたというお話をしましたが、その目的というのがこの無線機(トランシーバー)を総務省に対して使用登録申請をするためだったのです。
このたびの東日本大震災では、残念ながら携帯電話は使い物にならないことを私たちは学びました。一般の電話や公衆電話はまだ使用できる状態でしたが、そこは長蛇の列だったのです。携帯電話の便利さを知っている私としては、それに代わる無線電話を緊急時に利用することを考えました。
でも、今までスキーなどで利用していた小電力トランシーバは相手の姿が見える程度の範囲でしか使えません。給水車などの状況とかお店の状況などを家族に知らせるには少なくとも半径数㌔の範囲内で通信できる無線機が好ましいわけです。アマチュア無線はその点余裕で必要以上の範囲を満たしますが、だからといって家族全員が勉強して免許を取得するのは面倒です。
そこで目をつけたのが、このデジタル簡易無線機です。現在では個人のレジャーにも使えて、電波の届く範囲も数㌔以上と理想的です。小電力トランシーバに比べれば重く大きいとはいえ、災害時にはたいへん役立ちそうです。取り敢えず2台ペアで購入しましたが、家族分追加購入しちゃおうかな。
今回購入したのはバーテックス・スタンダードという会社のものですが、アマチュア無線機の有名なメーカーの一つです。さらに同じく有名なメーカーとしてはモトローラ、アイコム、ケンウッド、アルインコなどが製品化しています。アンテナなどを取り替えれば、条件さえ良ければ東京辺りまで電波が飛ぶこともあるとか。
緊急時には威力を発揮してくれそうです。
デジタル簡易無線機 バーテックス・スタンダード VXD-10>
2011年
5月
05日
木
理由などは後ほどこのブログで書こうと思っていますが、デジタル簡易無線機というのを購入しました。業務用途にも耐えるスペックの無線機なので、総務省に対して無線機の使用(電波の利用)について許可を得なければなりません。お役所が相手なので、ひとつひとつ指定された様式の書面で登録申請手続きやら届出書やらを提出し許可を得なければなりません。
それを無視したり怠ると、最高100万円の処罰が待っているそうな。昔ならいざ知らず、最近のデジタル無線機は無線機本体にある固有の情報を発話と同時に(勝手に)送信してしまいますから、総務省が行っている電波の解析ですぐ手続き済みなのかそうでないかがばれてしまうのです。購入してすぐ使ってみたいけど、ここは素直にまず手続きをしなければなりません。
ところが、最初の登録申請に15日程度かかりますよといわれ待っていたのですが、一向に手続き完了の知らせが来ません。そこで恐る恐る総務省に電話をかけてみました。担当の方の応対はすごく親切で安心したのですが、なんと手続きが遅れている原因は、先の震災復旧対応で相当量のデジタル簡易無線機が導入されたため、普段よりも遙かに多い登録申請手続きが殺到しているとのこと。
確かにね~。福島原発周辺の避難民一時帰宅で、皆さんがデジタル簡易無線機を渡されていたのをテレビでみたなぁ。
その結果、通常の3倍、1ヶ月半かかってやっと「無線局登録状」というのが送られてきました。それも総務省の「関東総合通信局長」の角印押捺で、まるで免許状みたいです。これで完了と思いきや、そうではありません。今度は所有する無線機の登録をしなければいけないのです。今度は登録状を受け取り無線を使い出してから15日以内に届出を完了しないと、また罰則・・・。
そこで、総務省がサービスしている電子申請を利用してみることにしました。
電子申請と言えば、国税庁が数年前より行っている納税確定申告の電子申告が思い浮かびます。基本的には同じ本人認証を使っているようです。これで来年は電子申告かな~。
さて、早速準備に入りました。これが結構大変でした。まず市役所へ行き住基カードの申請と発行をしてもらいます。カードには2種類あって、顔写真入りとなしと。普通の本人確認は運転免許証で良いので、ここは顔写真なしを選択。カード・リーダーを購入します。そして今度はパソコン上で公的個人認証サービスというやつに登録します。これには専用アプリをダウンロードして実行する必要があります。
ここまででパソコン上で自分の住基カードを使って本人認証の準備ができました。
それが終わると今度は簡易無線登録の準備に入るわけですが、まず総務省のホームページから環境設定ソフトやらユーザー登録やらわけのわからない作業を済ませなくてはなりません。そのたびにJavaのバージョン確認やら何やらとあっちへ行ったりこっちへ来たりと。あ~面倒くさ。それでもまだ本当の作業には入れません。
環境設定やらユーザ登録やらが完了すると、今度は総務省のページから電子申告のアプリをダウンロードしなければなりません。このアプリは申請する無線利用の種別によりアプリが分かれていて、間違えないように選んでダウンロードすることが必要です。今回は簡易無線用の登録申請アプリをダウンロードしました。
起動すると、申告内容によって実際の記入作業内容が分かれますが、申請から登録完了までひとつのアプリで処理させることが出来ます。ここまでくれば全体の90%くらいは終わったも同然。記入項目は多少お役所的だな~と思える部分もありますが、丁寧に読んで判断すれば間違えずに入力可能です。項目入力を始めてから10分以内に完了し、内容をチェックしたら送信して届出完了です。
今回は全く初めてだったので準備に時間がかかりましたが、実際の入力はおよそ10分足らずで、郵送のためのコストがまったくかからず、また申請・届出は確実にデータ送信されるのと受付番号が発行されるので、安心です。不満と言えば、準備に手間と時間がかかりすぎること。特に始めてからいくつものアプリをダウンロードして処理しなければ準備すら出来ないという点を改良して欲しいと思いました。これではパソコンに詳しくない人々にとってはハードルが高すぎます。
実は今回初めてわかったのですが、総務省の簡易無線免許に関してもナントカ協会みたいな申請代行業務を行っている団体があり、そこに会費を納めると申請・届出代行業務一切と、更新時の連絡をしてくれるのだそうです。これってまるで運転免許の更新代行を行う交通安全協会とおんなじじゃん!どうも電子申請の複雑さやハードルの高さは、このシステムは申請代行団体のために作られたような気がします。なにせ相手は総務省の天下り団体なのですから。それにある業者さんに確かめたのですが、どうも私みたいに直接申請をするユーザよりも、代行団体の申請処理を優先しているようです。たしかにネットで確認してみたら私より後に手続きをした(代行申請)人の方が先に登録状の発行を得ています。大震災の影響があるのも事実でしょうが、こうした不公平な取扱いを政府が半ば公然と行っているのはちょっといただけませんな~。こうした外部協力団体についても事業仕分けをするか、代行業者を増やすなどの競争原理を働かせて欲しいですね。
というわけで、無事に法律を守って簡易無線の登録と無線局の開設届出を完了しました。これでやっと電波を出すことができるようになりました。よかったよかったwww 今までの小電力トランシーバと異なり、出力が5W(半径3-5kmは電波が届くらしい)もあるので地方都市で運用する私と家族にとっては今後の防災対策のひとつとして大いに役だってくれることを期待しています。
2011年
5月
03日
火
久しぶりにポートレート撮影です。少なくとも毎月新作をアップすると決めて撮影を行ってきたのですが、あの歴史的な震災が起きてしまい、しばらくお休みをしておりました。やっと再開する気持ちにもなり、明るいお花で春を表現することになりました。
今回はフラワーパークに出かけて咲き誇る色とりどりの花を背景に撮影を行いました。一カ所での撮影となりましたが、さすがフラワーパーク、咲いているお花の種類がたくさんあり、飽きることなくそれぞれの花々で雰囲気の異なるカットを撮れたかなと思います。
ここは薔薇園が有名なので薔薇の花を背景にと考えてはいたのですが、やっぱり~というか時期的に一ヶ月も早かったんですよね・・・orz でも薔薇がなくともフラワーパーク。ちゃんと沢山のお花で出迎えてくれました。思ったほどの来客もなかったのと天気も上手い具合に薄曇りと絶好な撮影日和ではないですか!
というわけで、あっという間に時間は過ぎていったのでした。
途中、休憩時間に味わった、薔薇の紅茶と薔薇のジュース、薔薇の香りがとても癒しになって美味しかったです。帰りがけに薔薇のお茶(紅茶)を購入したくらいです。薔薇って個性が強いと思っていたけど、紅茶では癒せるんですね~てわかった。
今回ポートレートとしては初めて広角ズームを使ってみました。意外に使い方が難しいとは思いましたが、これからも挑戦してみたいです。
2011年
5月
01日
日
長らくお待たせしておりますが、趣味コレクションのページを一部公開に踏み切りました。コンテンツとしてある程度蓄積できたこともあり、また今後も継続してコンテンツが出来上がり次第公開させていただきますので、お楽しみに。
従いましてまだ未公開のページがあります。その部分は非公開パスワードロックがかけられておりますが、公開まで今少しお待ちいただきたく、ご容赦ください。
新しく公開した項目:
※デジタルカメラ、FL/FDレンズ、EFレンズ、フィルムカメラの一部はまだコンテンツ作成中のため公開しておりません。
※まだコンテンツ作成中の項目があり、それらについては公開しておりません。
2011年
5月
01日
日
今から30年以上も前、秋葉原はマイコン少年達で賑わっていました。その誰もが必ず寄っていくところ、そこがNEC Bit INNだったのです。老いも若きも皆少年のように目を輝かせ、マイクロコンピュータという新しくエキサイティングなツールと取り組んでいました。それがTK-80というワンボード・マイクロコンピュータでした。いまは誰もが身近な電子機器として(まるで電化製品のように)使いこなす時代になったパーソナルコンピュータですが、あのときに全てが始まったのです。
懐かしいけれど全ての始まりをこの目で見てきた私たちはすごく幸せで心躍る興奮を味わうことができました。そのことにすごく感謝したい気持ちです。
2011年
5月
01日
日
GW始まりましたね。長い人だと11連休になるんですよね。皆さんは何連休ですか?私は明日有休を取りましたので、今日から数えて7連休です♪ 特に旅行とかに行く予定はなく、どっぷりと休みを満喫して休養と自由気ままな時間を使って凄そうかなと思っています。でもあっという間に過ぎ去ってしまうんでしょうね。
とは言っても、せっかく天気予報でも良い天気が予想されるGWなので、冬の間眠っていたバイクで春の空気をたっぷりと吸いたいなとも思っています。そうそう、クルマやバイクもまた私の趣味の一つでもあります。いずれこのサイトに余裕ができたら新しく項目を付け加えてもいいかな。
このサイトもまだまだ未公開(工事中)の部分が多いので、休み中には頑張ってできるだけ公開を進めるようにしたいと思っています。ただコレクションに関しては、解説を加える部分でできるだけ正しくお伝えするためにいろいろ調べなければならず、手こずっています。特にカメラなどでは数十年という年月が経過している上に、ウェブサイトの情報は必ずしも正しくない場合があり、検証とコメント表現をどうするかについて検討をしなければならないので時間がかかります。
恵美さんから「私の2009年」のコメントが寄せられましたのでアップしました。いつも笑顔の素敵な恵美さんですが、やはりしっかりと荒波に揉まれつつあるんですね。自分で乗り越えないと明日はこないんですから、頑張って欲しいものです。応援しています。
2011年
3月
19日
土
ついに、心配していた大地震が起きてしまいました。いずれその全容が明らかになると思いますが、未曾有の災害ということは間違いありません。実は、私も震災地域に居住しています。海岸地帯ではないため津波の被害はなく、SRC構造のマンションのため無事でした。でも家の中はもうメチャクチャで、テーブルや棚の上に置いてあったものはすべてすっ飛んでいました。足の踏み場もないとはまさにこのことです。自宅近辺は震度6でしたが、過去に体験した震度5強とは比較にならないほどで、惨憺たる状況に声も出ませんでした。
皆様はいかがでしたか?東北・関東地域にお住まいの皆様のご無事を祈っております。
この大震災ではいろいろな経験をし、いろいろなことを知りました。当日は帰宅難民になりました。路線バスの力強さを認識しました。ライフラインというものの大切さを、いやというほど認識しました。ネットを使いこなすと言うことがどれほど役に立つのか、O157事件以来の再認識でした。自らが震災を体験しているわけではない政府要人達の発言が如何に空しく責任回避を担保しているかがよくわかりました。マスコミの報道のありかたにも考えさせられる面が多々あるように思えました。日頃このサイトで嘆いている日本の技術力の低下は電子技術だけでなく原子力技術にも起きていることがわかりました。
それでも人々は立ち上がります。
日に日に復旧状況は改善し、少しずつ活気が生まれてきています。いままで日本はかつてないほどの長期にわたる不況にあえいでいました。私たちはそこからの脱出方法を見いだすことが出来ませんでした。でも、この未曾有の不幸から立ち上がるとき、それは新たな再出発となるのです。このたびの大震災をきっかけに私たちの不況に断層を生じさせ、この復興への活動が過去の不況の流れを断ち切ってきっと私たちをそこから抜け出してくれる起爆剤になってくれることを願わずにはいられません。
一瞬にして2万人を超えるお亡くなりになったり行方不明となった方々の尊い犠牲はあまりにも悲劇ですし言葉を失うほど大きな惨事です。かろうじて命をつなぐことの出来た私たちは一日も早く復興へむけて前進していかねばならないと思っています。
改めて、大震災でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして被災された皆様、地域の一日も早い復興をお祈り申し上げます。
2011年
2月
20日
日
今年の冬は記録的な豪雪だったそうですね。私がよくスキーや温泉などに出かける新潟県南魚沼郡あたりでも3メートルを超える積雪だとか。豪雪で知られる新潟県の山沿いでも、このところ暖冬であまり多くは積もらないのですが、3メートル超の積雪は確かに異常です。
そういうときに限ってスキーなどに出かける計画がなかったりして残念なことなのですが、せっかくの豪雪を是非見ておきたいと思い恵美さんを連れ出しました。恵美さんにはただ雪国へ行くよ~と言っておいただけで、あとはミステリー・トレイン状態です(笑)
着いたところは雪国と言っても登山で有名な谷川岳の麓にある天神平というスキー場兼観光地です。天神平の標高はおよそ1400mあまりとそれほど高地ではありませんが、豪雪地帯としても知られています。
前の日まで降り続いたドカ雪のおかげで天神平の雪はとても上質なパウダースノーでした。踏みしめて歩くとギュッギュッと鳴る音からもよくわかります。それまで雪の日が続いたとは思えない、爽やかな晴天にも恵まれて撮影ははかどりました。ただとても眩しくて瞳の大きな恵美さんにはちょっと辛かったようです。
ひたすら明るく純白の景色は、僕達をとてもピュアにしてくれました。ただ一点、
やっぱり、スキーをしたかった!
週末なのに、本当に少なかったです。リフト待ちなんてまったくありません。ロープウェイの下を約4キロ滑り降りるダウンヒルコースもあって、本当に楽しそうでした。
今回は、「今月の1枚」をどれにしようか迷うくらい、どれも楽しさあふれる表情ばかりです。是非お楽しみください。
2011年
2月
05日
土
SONYのカセットデンスケ、TC-D5Mです。たまたまオークションで出品されていた、極めてレアな未使用品を入手しました。SONYのカセットデンスケといえば、1970年代のオーディオブームと生録音(ライブレコーディング)ブームを支えた功労者で、TC-D5Mはその末裔です。1980年3月1日に発売され、なんと25年間という長い間モデルチェンジもせず生産され、2005年にメモリ録音タイプのPCMレコーダ発売とともに製造完了となりました。その間CDが出ても、DATが出ても、MDが出てもずっと愛好家に支えられてきたロングセラー・モデルでした。
届けられて早速手持ちのカセットを入れました。録音は1976年のライブコンサート生録音です。鮮やかに34年前の音が蘇りました。34年という歳月がまるで止まっていたかのように音一粒の狂いもなく蘇ったテープを聴きながら、図らずも涙を覚えそうな自分がそこにいました。その音は良くも悪くもカセットテープの音でしたが、デジタルメディアにはない暖かく奥行きのある音だったのです。"サー"と流れるテープヒス・ノイズすら気持ちよく体に染み渡りました。
このカセットデッキは、Made in Japanです。1970年代初め頃からずっとオーディオ機器を見続けてきている一人ですが、このデッキが製造され始めた1980年代が日本のオーディオ機器の頂点であったのではないかと思っています。そしてそれはアナログ時代の頂点でもありました。
音楽ソースはデジタルに変わり、トランジスタ部品はICへ変わり、精密な機構部品はシンプルなマイコンとソフト制御に変わりました。オーディオブームは過ぎ去り、人々はCDラジカセで十分だと思うようになりました。そして今やオーディオの中心はiTunes(というソフトやサービス)とパソコンにiPhoneというライフスタイルです。SONYは今年4月に最後のカセットウォークマンを出荷しましたが、3年ほど前に発売されたその最終モデルを見てみると低コストを追求したおもちゃのような姿をしていてがっかりしたものです。記念にコレクションをしようと思えるような出で立ちではありませんでした。
もちろん現代のニーズは過去とは比較してその善し悪しを論ずることはできません。でも日本が一番輝いていた1980年代を中心に活躍していたこのTC-D5Mを手に取ってみると、誇らしげにMade in Japanを主張しているのがよくわかります。破綻がなく精密機器のように所有者の満足感を与えるインダストリーデザイン、ほぼ頂点まで上り詰めたアナログ回路設計や機構設計を極めて小さなボディーに押し込めた、SONY伝統の小型化への挑戦。当時の価格で10万円を超える価格は技術の粋を集めたという何よりの証拠でした。
その後CDを皮切りにあっという間に時代の流れを変えたデジタル技術は、それまでのアナログ技術を大きく進化させる革命だと信じられてきたのに、なぜか逆方向に進めてしまったような気がするのはなぜでしょうか。デジタル化されて音の質は確かに良い面も多いように思います。そして低価格化への貢献も果たしました。でも、いつしかデジタルの音に慣れてしまったとき、気がついたのはそこで進化が止まってしまったということです。しかも今はMD、シリコンプレイヤーと進むにつれて圧縮技術とともに明らかな音質の低下へと進んでいます。これでは進化への憧れもなく興味は薄れ、グローバル化の名の下に日本の技術は世界の中で埋もれてしまいました。
歴史を後戻りさせることはあり得ませんし意味のないことですが、商品を手にとってみるだけで感じ取ることのできる魅力というものにあふれた製品が登場したときに、再びMade in Japanの快進撃が始まると思います。最初からグローバルな並の製品を作ってもだめなんです。ガラパゴス発信で世界を認めさせる挑戦が求められていると思います。業界は違いますがパソコンのLenovo Thinkpadは日本発信(設計)を世界に認めさせグローバルな販売で成功している一つの例だと思います。
このTC-D5Mのように25年にもわたりロングセラーを続けてきた名機、ほかにもあると思いますが、皆さんはこうした名機をご愛用されていますか?
2011年
1月
30日
日
Studio RUMサイトを開設して以来、徐々にですが各コーナーを公開してきました。この度はRadio and Audioコーナーの公開にやっとこぎ着けました。このRadio and Audioコーナーは、自分の所有するBCLラジオの数々やオーディオ機器の数々を紹介しながら、その機器についての評価だけでなく購入に至った経緯やその機器に対する思い入れなどを語るコーナーです。一部コレクションも含まれますが、多くは自分で使用するために迷ったりいろいろ調べて手に入れた大切なものばかりです。あくまで自分の思い入れ中心に語っていますので、場合によっては一般的な評価とは異なる場合があります。そんな時は私の独断ですので許してください。
ひとくちにRadio and Audioコーナーと言っていますが、改めて自分の持ち物についていろいろ調べてみると、誤解していたことや正しくない情報を鵜呑みにして信じていたことがいろいろ見つかり驚きました。そのため歴史考証というか事実確認にかなり手間取りました。インターネット上の記事も必ず複数検証して事実の確認に努めました。時には大手メーカーさんの公的な物証である、カタログや取扱説明書、サービスマニュアルなどの記載自体に相違点が見つかり、一体何を以て信じればよいのだろうと呆然とした状態に追い込まれたこともあります。
どうにかこうにか事実(と思われる内容)をひとつひとつ貼り合わせてこのたびの公開にこぎ着けたわけです。実はCanon一眼レフカメラの項目でも似たような状況はありましたが、Radio and Audioでは例えSONY一社に絞っただけでも遙かに多くの機種がこの数十年間で発売され、その開発経緯にも様々なものがあり、カメラとは比べものになりません。ですから、今回公開されたと言ってもまた新しい事実が発見され公開されている内容の変更を余儀なくされる場合も想定されます。もし変更の必要性が生まれれば躊躇いなく訂正させていただきますので、その際はどうかご容赦くださいますよう、お願いいたします。
こうして自分の心を躍らせたオーディオ機器の数々を見てみますと、大多数が1980年代に発売もしくは開発されたものであることがわかります。それまで欧米諸国の技術や製品に追いつき追い越せと頑張ってきた電子立国、日本の象徴的な製品達です。その殆どすべてがMad In Japanと誇らしげに印字されています。緻密な機構設計や狂いのないモールドの羽目合わせ、当時「世界初」、「国内初」、「世界最小・最軽量」などカタログに踊った言葉達は、まさしく1980年代ついに世界の頂点に立った技術力を証明しています。その実物としての製品達は見ていて飽きないほどの工業デザインとして現在の商品達とは一線を画するものだと思っています。そういう逸品達を所有しているという満足感もまた幸せなものです。
これからもまだまだ集められ加えられていくRadio and Audioアイテムにもご期待ください。
※なお、このたび公開するRadio and Audioコーナーの記事は一気に書き上げたものなので、まだ校正不足で誤字などがありご迷惑をおかけするかも知れませんが、校正が完了するまでの間お許しいただきたくお願いいたします。
2011年
1月
22日
土
日産スカイラインというクルマは、私にとってとても思い出深いクルマであり、また私のクルマ観の基礎となっているクルマです。今でこそあまり見かけなくなってしまった車種ですが、40年ほど前はクルマ好きでなくとも誰もが知っていた車種で、当時の若者達の血を沸き立たせたグランドチャンピオンレースの覇者でもありました。特にGT-Rというグレードのクルマは超特別な存在であり、それは現在スカイラインから独立した車種、Nissan GT-Rとして生まれ変わり新しい系譜を生み出そうとしています。
櫻井真一郎さんは、日本の経済を支える自動車産業という一大業界にあって、カリスマ的設計開発リーダーとして第一人者と言っても過言ではないでしょう。櫻井真一郎=スカイラインとまで表されるほどのブランドだったのです。そしてまた戦後の日本が復興し、欧米の技術に追いつき追い越せと言う最も力溢れた工業振興の象徴的な存在でもあったと思います。
クルマという商品は、たいへん幅広い分野の技術の集合体です。よく走り、よく曲がり、よく止まる。この三要素を見事にバランスさせて、それを誰が見ても美しく格好のよいパッケージに入れ、乗り込んでドアを閉めれば満足感の得られるコンフォート性能が求められるという感性に訴えられるモノでなければなりません。
それらは幅広い分野の専門性を持つ開発者達を見事に統括しなければならないという点で、櫻井真一郎さんはそのカリスマ性を見事に発揮したのだと思います。それでも櫻井さんは一人のサラリーマンとして、与えられた限界のある中で最大限の努力を惜しまなかったのです。好きなことだけをやれたわけではありませんでした。思い通りの設計が出来たわけでもなかったでしょう。思い通りの素材やエンジンなどを手に入れられた訳でもなかったと思います。
普通は櫻井真一郎のスカイラインというと、すぐ、あぁGT-Rだよね、とくる。でもビジネスはGT-Rではありません。2000GTですらなくて、ふつうの1500ccのデラックスなんてグレードがメインだったりします。でもそういう車種にもきちんと手を入れてスカイラインという車種にその設計思想の柱を明確に示していきました。それでも惜しむらくは、櫻井さんのスカイラインは目標としていたBMWにあと少しの差で追いつけなかったのではないかと思います。
櫻井さんはかつて日産プリンス誌で正直に告白しています。「目標にしたBMWを買い込んで、ネジ1本まで全部ばらしてみたが、そこからは何も特別なモノを見つけ出すことは出来なかった。」部品自身に違いがあるわけではなく、その応用技術、その設計フィロソフィーにあると確信した櫻井さんでしたが、結局トヨタの物量作戦の前に思うようなクルマ造りを出来ずに7thスカイラインを最後に身を引いていきました。
私は元々祖父がプリンス自動車-日産プリンス自動車販売という販社のサービス長であったことで、子供の頃からスカイラインは身近な車種でした。家のクルマも当然ながら?スカイラインでした。加えて櫻井さんのカリスマ的存在がぐいぐいと私をスカイラインに引きつけていったのです。
写真のスカイライン2000GTターボ(スカGターボ)は、社会人になって初めて自分の給与からローンで購入したマイカーでした。その頃はもはやスカイラインにはGT-Rはなく、これがその代わりだったのです。こうしてボディシルエットを見てみると、伝統のロングノーズ・ショートデッキのその姿は意外にも今の世の中でも悪くない姿をしています。ちょっとリアのオーバーハングが長すぎる気もしますが(笑)実際、数年後不幸にも事故で泣く泣く手放すまでは恋人のような惚れ込みでした。
そのスカイラインは事故後入庫した整備工場の方に譲りましたが、とても綺麗に修復され、その後さらに他県の方に引き取られて愛用されたそうです。
私はと言うと、GT-Rが出ないままいたずらに大きく重くなってハイソカーへの道をまっしぐらというスカイラインに失望し、逆にボーイズレーサーに憧れるようになりました。しかも4WDツインカムGTターボなんていうハイテク満載のクルマにも乗ったりしましたが、貯蓄してR32のGT-R Vスペックを買うんだと張り切って、ついに買える段階まできたのです。
しかし、なーんと気まぐれに立ち寄ったBMWディーラーにて当時の3シリーズ(E36)に試乗させてもらったら、頭を思い切り殴られたような気がしました。クルマ本来の走る、曲がる、止まるの基本がこれほどエレガントに調和してまとまっているものなのか。GT-Rは当然これらの3要素も頂点にありましたが、どうしても運転するときに気合いが入ります。BMWは楽しくて疲れないんです。思いもかけずハマりました。櫻井真一郎さんが目標としたBMWとはこういうことなのか。
私はGT-Rを捨て、BMWを購入しました。そしてそのまま3代にわたりBMWを購入し続けています。他のクルマはサブ的に乗ってもBMWを手放すことはないでしょう。
でも、それもこれもやっぱり私の原点がスカイラインにあったことは間違いなく、また櫻井真一郎氏の述懐が記憶されていたからこそBMWの奥深さを知ることにもなったと思います。そういう点で櫻井真一郎さんの存在が私にとっても大きかったと認めざるを得ません。やっぱり櫻井さんはクルマ産業界にあって偉大なカリスマでした。櫻井さんのご冥福をお祈りいたします。
合掌
2011年
1月
01日
土
本年もよろしくお願い申し上げます。
皆さんはどのようなお正月をお迎えになっておいでですか?静かで穏やかな正月をお迎えになっておられることと存じます。
このウェブサイトも徐々にですがコンテンツが充実してきました。1月中にはRadio and Audioのコンテンツを公開できそうです。
趣味の一つとしては他のどれよりも長く続けている分野であるRadio and Audioですが、カメラと同じく奥が深く自分で自制しないとキリのない世界です(笑) 現在はどちらかといえばカメラに投資をしていますので、暫くお休みをしていましたが前回のブログに書きましたように、うっかりとカセットデンスケ(SONY TC-D5M)を手に入れてしまったことで、自分の中に眠っていたRadio and Audio趣味心が大きく揺さぶられてしまったのです(苦笑)
音が出るRadio and Audioの趣味はちょっとやっかいです。マンション住まいの身としては家族だけにとどまらず近所にも気を遣わねばなりません。しかも昔の生録ブームとは大きく異なり、録音のできる範囲が狭められ、デジタル派向けにコンプレッションかけまくりのFM放送なんてエアチェックする気も起きません。
でも、細々ととはいえ、今年はぜひ自分のRadio and Audio趣味を再開させたいというのが望みです。
まず、手始めに埃の被った愛機たちを生き返らせなきゃ。オーバホールに出そうと思います。
2010年
12月
19日
日
今年はほんとうに寒い冬ですね!!日本海側ではところによって平年の2倍もの積雪だとか。よく訪れる馴染みのスキー場付近でも、なんと3mを超えるほどの積雪だそうです。大雪に見舞われている地域の方々のご苦労はいかほどかとお見舞い申し上げます。
ポートレート写真にとっても、冬はなかなか難しい季節です。緑も鮮やかなお花もなく、厚着でスタイルもめちゃくちゃ、寒さに震え顔も凍えます。でもそれが冬というもの。安易にスタジオにこもって季節外れのシーンを演出することなく、若者よ、外に出たまえ!!てす(笑)
今回の恵美さんは、最近とは違って表情が妙に少女っぽくなっているのが不思議なのですが、それも恵美さんらしいところ。
2010年
11月
21日
日
今回久しぶりの撮影ツアーとして選んだ場所は黒四ダムでした。
もともと大好きな信州で撮影したいと思っていましたので、松本近郊や、諏訪などはどうかな?と漠然と思ってはいましたが、撮影を考えるとあまりいい時期ではなく、さりとてたっぷりと降り積もった雪を背景に静かな日本の山村という感じでもなく困りました。絶好の美しさとしてはイチ押しの上高地は時期的に交通の便が悪いし、というわけで消去法で残ったのが黒四ダムだったのです。正確には黒四ダムは富山県にあるため信州ではないのですが(笑) 信濃大町側からトロリーバスで簡単にいけるらしいということで決めました。
往路途中松本に寄り、松本城付近で撮影も行いました。ところが視覚的に最も美しく松本城が撮れる位置ではモデルさん(恵美さん)が真っ向から太陽に向かい合うことになり、眩しくて目が開けられません。さらには光と影のコントラストもきつくて思うように撮影が行えませんでした。
翌日満を持して黒四ダムへ。前日とは打って変わってどんよりした厚い雲。どちらかというと曇りの方が露出が決めやすいので喜んだ最中に、案の定雨が降り出す始末・・・(泣)。だんだん本降りになり撮影中止を余儀なくされました。ですから今回はあまりカット数が多くありません。無理矢理撮っては見たものの、後半のカットではレンズ保護フィルタに雨の水滴がたれて一部がぼやけてしまうなどの影響も出てしまいました。
それでも黒四ダムは初めて訪れたこともあり、満足でした。あまりにも簡単に行けてしまったので、先人たちがいかに苦労をして調査をし、多数の犠牲者を生みながらも完成させたのかということを、なかなか実感として持つことが出来ませんでした。なにせ長野県側(信濃大町)の山の麓にある扇沢というトロリーバスの駅からわずか15分の乗車で、いきなり黒部峡谷側の黒四ダムに着いてしまうのです。トロリーバスの走るトンネルはその間に3000m級の後立山連峰を一気にくぐり抜けてしまう形で掘られています。映画や実話で語られている破砕帯などは数十秒たらずでバスは走り抜けてしまいます。
それでも日本有数の本格的で深い峡谷とそびえ立つような巨大なダムは圧巻でした。ほとんどの発電所など関連施設が山をくりぬいた地下に埋め込まれているなど、これらが今から50年も前に当時の最先端技術を駆使して作られたとは驚き以外の何物でもなく、それらすべてを電力会社が補修を繰り返しながら守り続けているという努力にもまた頭が下がる思いです。
今回は初めての目的地であったためと不順な天候の影響もあり、少し勿体ない時間の使い方をしてしまいましたが、それでもとても感動する場所を訪問できただけでも収穫がありました。今度は早春など冬から春へと移り変わるいいシーズンに再び訪れたいと思います。
2010年
10月
23日
土
TOSHIEさんとのスタジオ撮影は8月に行いましたが、恵美さんとは1年以上経ってしまいました。今回のスタジオは調度品がほとんどなかったため、ポーズに苦労すると思っていたのですが、まあそれならそれで何とかなるもんです(笑)
演技や作り込みをしない、ありのままの恵美さんをファインダー越しに切り取ることが出来たと思っています。
スタジオでの撮影は、モデルさんにとっても撮影者にとっても良い条件が揃っています。周囲の視線がないため恥ずかしさはないし、照明設備もばっちりなので写真の仕上がりも良好です。服装を代えるにしてもパウダールームが用意されていますので安心してできます。音楽などを流してリラックスも出来ます。
ですから、たまにはスタジオもいいんですが、やはり欠点というかスタジオ撮影オンリーにできない理由は、背景は基本はパック紙のみなので季節感を出すことができず、グラビア撮影風になること、毎回同じスタジオだと調度類などが同じになってしまうのでつまらない、なにより結構コストがかかるといったことがあるんですね。
やはり定期的に同じモデルさんの撮影を続けていくなら変化がほしいのと、やはり色々な場所で見せるモデルさんの表情の変化もまた撮影の楽しみなのです。そういうわけで、いろいろな場所での撮影とスタジオ撮影とを織りまぜながら続けていこうと思っています。
今回はそのスタジオ撮影その1です。
2010年
10月
16日
土
半分本当で半分はナンチャッテ画像ではあります。本当の部分は、恵美さんは実は音楽が専攻であったということ。ナンチャッテは演奏会ではなく、実はスタジオ撮影でした!ということです。恵美さんが音楽を専攻していたというのは以前から知っていたので、是非その姿を撮影してみたいと思っていたのですが、今回その念願がかないました。
場所は都内某所のスタジオで、恵美さんを引き立たせるため黒のパック紙を背景に選んでみました。演奏会ならステージが背景となり雰囲気が出るのですが、こちらはむしろCDとか演奏会のリーフレットに使われるような雰囲気の写真が出来上がりました。
写真を見ると、恵美さんが大切にお手入れをしているヴァイオリンの艶やかな色とともに、今にも奏でる音が響いてきそうな気がします。その曲を聴けたのは撮影者の特権です。まさに役得です。
2010年
9月
26日
日
夏の酷暑が少し緩んできた9月の週末、JR上越線のSL列車、快速SLみなかみ号に乗車してきました。SLの定期列車が全国で廃止になったのは昭和51年3月。SLみなかみ号の牽引に使われているD51-498号の復活は、その後10年余り後の昭和63年末のことでした。その一ヶ月後には昭和天皇がご逝去されて時代は平成になります。以来20数年間D51-498号機はデゴイチという愛称の代表として人々から愛され走り続けています。
新幹線は速くて快適だけれど、SLの旅は車窓からまわりの景色を堪能しつつ、会話も弾みお茶や駅弁がとっても美味しかったりして、目的地への期待を高めてくれます。高崎-水上間はちょうど関東平野の北端から谷川岳のふもとの山間部までという区間なので、車窓には自然の景色が広がります。ここは登り区間でもあるのでD51がたくましいドラフト音を響かせながら進むその光景は、まさに往年の汽車そのものです。
今度は沿線の撮影ロケーションが良い場所で、D51が噴煙と蒸気を吐きながら力強く登ってくる様を写真に収めたいと思いました。もし週末に時間があれば是非お乗りになることをオススメします。全席指定席ですが、普段の週末なら当日でも指定席を購入できると思います。この列車は快速なので乗車券以外は指定料金のみで乗れますからお得です。
高崎駅までは上越新幹線を使うのもいいですが、湘南新宿ライン直通の快速アーバン(上野発着もあります)を利用すれば意外に早く行くことが出来ます。
2010年
9月
19日
日
今年はスマートフォン元年だとか。
もともとガジェット・フリークの私は、今年が元年といわれてもねぇ・・・なにせ2000年の初め頃からSharpのZAURUSに始まりPocketPCなどのPDAを使い倒してはいろいろな不満があって満たされない日々を送り、WillcomのW-ZERO3に飛びついてほぼ全機種を衝動買い(衝動契約?)しまくったものの、あまりの小さな画面にペンでこちょこちょやっている虚しさと悲しさに、人間にはガジェットって似合わないの?と自問自答していた日々でした。
そこに颯爽と現れたApple iPhone!! 実はガジェットフリークANDソニーフリークでもあった自分はそれまでWalkmanをこよなく愛し(苦笑)、カセットのWalkmanやMD WalkmanはもとよりDISCMANやらDAT Walkmanに至るニッチなWalkmanまで集めまくっていたのですが、全身にビビッときた2003年のiPod
3rdに浮気をして以来、その道どっぷりとApple iPodとiTunesの深みにハマってしまっていたのです。
iPhoneはまぎれもなくiPodの血統です。しかもすでにiPod touch(最初の世代)を使い倒していた自分としては、あっという間に手が出てしまったiPhone 3GSが去年のこと。
そして、そして、自分としては数倍カッコイイiPhone4が出てからというもの、徹夜の行列まではしなかったフリークではあるけど、そのせいで1ヶ月以上も辛抱強く待たされたフリークではあるけど、7月中頃にやっと入手して約2ヶ月。すでにiPhone4は生活から切り離せない、肌身離さず持ち歩いているほどのネットアクセスマシンなのです。
iPhone4は確かにハンパなく売れているようです。発売後まもなく3ヶ月になるのにまだ予約待ちの状態とか(ツイッターみてるとわかります)。3GSのとき(去年)はそこまでじゃなかったし、街中や電車の中でも確かにiPhone4はあちこちで見かけます。価格コムなどの口コミにとんでもない初心者レベルの質問が投稿されているのを見ると、確かにもうスマートフォンは一部のフリークの端末ではなくなり、一般の人たちが普通に契約し始めた様子がよくわかります。
iPhoneは、もともとiPodというミュージックプレイヤーから出発したマシンなのですが、もちろんキラーアプリといえばネットを直ぐ見られるとか、iPhoneアプリが楽しいとかという話は皆さんもご存じだと思います。このiPhoneアプリの中にも、ドライブのお供に出来そうなアプリも増えてきました。
写真はBMWが提供しているBMW M Power Meterというアプリ(無料)。iPhoneの位置情報機能を利用した、ゼロヨン計測アプリです。いつでもどこでも好きなときに好きなだけ、一人でも仲間同士でもゼロヨンを楽しんじゃってください・・・って公道では危険走行は禁じられてますからサーキットでやってくださいね(笑)
2010年
9月
18日
土
ちょっと仕事の関係もあって、初めて東京ゲームショウ2010へ行ってきました。場所は幕張メッセで、すべての展示場を使っての大きなイベントです。大きなイベントといえば東京モーターショウが浮かびますが、昨年のモーターショウは不景気のため辞退が相次ぎメッセの半分しか使っていませんでしたが、それに比べると何て景気のいい話でしょう!?
出展者総数は200にも満たないのにこのスペース。つまり、ブースが大きいんですよね。モーターショウなんて目じゃありません。中でもCapcomは半端じゃありませんでした。特に行ったときはちょうどゲーム大会ブースもCapcomの闘劇というゲームでメッセのBブロックを独り占めにしているほどの盛況ぶりです。
来場者もものすごく、各ブースのゲーム体験コーナーはもとより通路まで人が足の踏み場もないほど溢れ、会場外にはぐったりと(?)休憩している人やらコンパニオンさんを撮影する人だかりやらで息切れしそうなほどでした。おそらく去年のモーターショウに比べると3倍くらいの来場者がいたのではないでしょうか。
ゲームで目立ったのはやはりPS3やらPCやらの本格的なプラットホーム向けで、特に驚くような技術的進化があったとは思えませんでした。ただ体験コーナーには人垣が出来て近寄れなかったせいもありますが(苦笑)
テレビでレポートされていたiPhone/iPadやAndroidですが、思ったよりもずっとこぢんまりとしていて、各社1タイトルずつ仲良くデモをしていましたが、ゲーム専用のDSやPSPなどに比べるとずっと内容はシンプルで、まだ追いついていないな~というのが印象でした。iPhoneコーナーにいたスタッフの方とお話ししましたが、やはり国内ではユーザがiPhoneでゲームをプレイしてくれる時間が短く、本格的なゲームやネット対戦型ゲームがなかなか受け入れてもらえないということでした。
あまりに人混みで注目の3DSとか観られなかったのも残念。まあ来年発売されるらしいので、いいか。
2010年
8月
29日
日
今年の関東地方は例年よりも猛暑日が多いそうです。確かにこのところ蒸し暑くて室内のエアコンすらも効かないような状況です。こんな陽気では普通は撮影どころではありません。なのに最近TOSHIEさんのスタジオ撮影やら恵美さんのポートレート撮影やらと撮影予定を入れてしまった自分ていったい・・・(苦笑)
猛暑といえば私的記録に残る最悪の猛暑は昨年の秩父でした。あのときも恵美さんでしたが、撮影する側もされる側も滝のように流れ落ちる汗を拭いながら、一枚一枚撮影して、精魂尽き果ててしまい、あまけにお盆休みの大渋滞にも巻き込まれたという悪夢の一日だったのですが、二度とそんな思いはしたくないと思っても、関東平野一面が猛暑ときたら逃げる場所がないではないですか(TT)
そこで名案(!!)水族館ならエアコン効いたところでさらに涼しげな写真が撮れるかも!ついでに近くが海なら涼しい風を浴びて気持ちよく撮影できるかも!さらに秩父とは違ってもっと山奥の涼しい渓流にも行けたら気持ちいいかも!
ということですこし欲張ってロングドライブをしてきました。
水族館での撮影が、いきなりストロボの電池切れから始まるという痛恨の空振り三振は笑えなかったですが(笑)、去年の悪夢と違って暑さもほどほどに気持ちよい撮影が出来ました。
2010年
8月
29日
日
恵美さんのお台場撮影に続いて、TOSHIEさんのスタジオ撮影を行いました。TOSHIEさんをスタジオで撮影するのは初めてのこと。しかも舞踊衣装とともに撮影するということになり、すこし緊張しました。しかし、実際に撮影してみると、いままでのTOSHIEさんとは全く異なり、すごく自然で生き生きとした表情を撮影できたほか、さまざまな角度からその姿を写真に収めることができ、グラビアとしても使えるカットもいくつかありそうです。
恵美さんの昨年のスタジオ撮影もそうでしたが、Studio 恐るべし!
2010年
7月
31日
土
前回の写真アップから少し時間が経ってしまいました。でも撮影会そのものはちゃんと進んでいます。今回はお台場と隅田川をテーマにしましたが、船の都合で隅田川や由緒ある橋を撮ることは出来ませんでした。これについてはもう一度挑戦をします。恵美さんがとても爽やかな服装で来てくれたので、梅雨明けとは思えない、気持ちの良い写真になりました。
2010年
6月
27日
日
今回は再び鎌倉を訪れました。前回は紫陽花をテーマにしたので梅雨の雨に悩まされ退散したのですが、今回は梅雨の直前の初夏ということで勇んでいきました。しかしそれでも鎌倉は難攻不落(笑)ポートレートですから人物中心。でも鎌倉の新緑や可憐な花菖蒲、そして七里ヶ浜の海辺とさまざまな顔を見せてくれる鎌倉・江ノ島周辺の背景をご覧いただく方々に是非味わっていただきたい、というところでかなり苦労の連続でした。結果として自分の想いを百分の一もお伝えできなかったかも知れませんが、そこは甘い採点をいただき、皆様の心の中で足りない部分、新緑やそよそよとした気持ちの良い風といった空気感を補っていただければ幸いです。
2010年
5月
30日
日
今回のモデル撮影は、都電がテーマです。前々から都電は画になるとは思っていたのですが、沿線だけでもこんなにいろいろと撮影できるとは思っていませんでした。最近もテレビで取り上げられていましたが、もう少し時間をかければもっと沿線の見どころはたくさんあります。是非また撮影に訪れたいと思いますが、皆さんにも是非お勧めしたいと思います。一日乗車券がわずか400円。たっぷり楽しめますよ!
2010年
4月
25日
日
恵美さんの新しい撮影アルバムを公開致しました。今度のテーマは季節柄 「桜」 です。台東区にある、谷中近辺と上野不忍池あたりが撮影場所となりました。前回は観梅でしたが、梅と桜という異なる背景で、どのような違いを見せるのか。
ご覧ください。
2010年
4月
24日
土
このサイトをオープンしてからも、まだ工事中のページが多々ありまして、ご迷惑をおかけしております。特にカメラ・コレクションのサイトを現在鋭意作成中です。もう少しお待ちください。そしたら次にはラジオとオーディオへと進んでいきたいと思います。
さて、一足先にモデル写真のアルバムを公開していますが、モデルさんからのコメントをいただいておりまして、モデルさんの生のコメントも順次掲載させていただいております。モデルさんや私(ウエブマスター)のコメントが写真撮影の時の情景を上手く補ってくれると嬉しいと思います。どうぞお楽しみください。
2010年
4月
01日
木
本日(4月1日)、正式にStudio RUMサイトをオープン致しました。取りあえずは今まで撮りためてきたポートレート写真の数々をご覧いただけます。
Canon Correctionや、Radio and Audio, RAILWAYSなどにつきましては、写真などが整い次第順次公開していきますので、お楽しみに。
2010年
3月
27日
土
2010年3月27日
Studio RUMサイトへようこそ。
今までに撮影した写真などに加えてコメントなどを記入し準備は進んでいますが、まだ完全公開には至っていません。皆様にはご不自由をおかけいたしますが、今少しお待ちくださいますようお願いいたします。
2010年
3月
27日
土
4月1日をオープンに考えていたのですが、メインのフォトギャラリーが概ね構築し終わったのと、モデルさんの承諾がとれましたので、プレ・オープンします。一応正式オープンは4月1日のまま据え置き。って殆ど違いはないんですが(笑)
コレクションや趣味のページは、正式オープンの時点でもまだ構築中になりますが、出来上がり次第順次公開していきますので、今少しお待ちください。